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月のように光を反射して写している何か

  • yamato-567
  • 2021年1月20日
  • 読了時間: 3分

子供頃、通称ですが、ハッタイコおばさんが、毎週、亀石の我が家に来られていました。 荷物を降ろし、小分けにして、方々に売って回られていたのです。 親戚ではありませんが、我が家の元が芳山なので、その縁があったのかも知れません。 芳野芳山から来られていましたので、まさに芳来人でした。 ハッタイコやキナコは、自家栽培のものを、嫁入り道具として持参された手臼での加工品でした。 どこか、マヤの末裔といわれるラカンドンの暮らしと似ています。 こちらは、カラドン(神日族の者)ですが、大陸では、クル族と訛りました、クヌどんでもあります。 そのクヌギのドングリで、芳焼きはつくられていました。 一度だけ、ホットケーキの感覚で、芳焼きを口にした事があるのですが、もう二度と食べまいと思いました。 ところが、ハッタイコおばさんの体力は、縄文人の命を繋いできた、ドングリ(ククリの食べ物、ドンぶらこ)のおかげだったようです。 しかも、祖母もいただいて使っていました、芳山に自生する椿の油や、青みかん(橘)の皮果実の搾り汁は、髪にいいらしく、白髪が少なかったように思います。 まさに不老の薬です。 始皇帝は、蓬莱の、不老不死の薬を捜すために、徐福を派遣したようですから、徐福が来た日本は、蓬莱島という事になります。 ところで、かぐや姫のお伽噺では、不老不死の薬を残して、月に帰るのですが、帝(文武天皇、倭根子豊祖父天皇)は、その薬を燃やすようにご命じになられます。 それは、不死を得ても、もう、かぐや姫には会えないからとされていますが、それは、籠目から竹を取った、蓬莱島の、雨を降らす東海龍王の龍目の意味を悟りになられたからだと察します。 竹のように言延びして、誕生する、変化するものには、必ず死があります。 それは垂れる比礼(天の羽衣、鰭バッテン、すフィンクロス)です。 注目すべきは、写し出された映像ではなく、月のように光を反射して写している何かです。 他のものは捕らえられても、それが、なぜに求めても捕らえられないのか。 竹(八咫烏、影法師)と成長し延びる影は、八咫烏の足で、他の影は踏んでも、私を踏む(捕らえる)事はできないからです。 影の足(八咫烏の息の顕幽神三本の足)は、私の実の足と(神功皇后の名にもありますように、息長足で)繋がっているというのにです。 写真は、鎮守の森のような所にある、ラビリンスと呼ばれるラカンドンのピラミッドと、生命の樹セイバ(ご神木)です。 彼岸の中日に龍が現われるマヤのピラミッドは、最高神ククルカン(蛇神)を祀るのですが、こちらのククリ(結ぶくくり、香久山、茅ノ輪くぐり、狛、球磨)と発声や意味が似ています。 写真はお借りしています。 三日月城近くの、人吉青井阿蘇神社の、かぐや姫にも出てくる龍首と、弓月の海岸と龍神社、籠目から竹取りの龍目は、度々載せています、実家に伝わるものです。




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