耳からは入る虫から、羊の命を守るために注がれる松油は、やがて命を守るメシヤの象徴となり、メシヤは、頭から松油を注がれます。
この、耳からは入る虫の暗示は、耳の中で耳(聞くもの)と口(話すもの)に分けて、ああだこうだと、騒がしい議論をする蟲の事です。
それを終わらす聖を、メシヤと申します。
日本では、天皇を聖(ひじり)と申します。
ところで、〆縄が、注連縄と記しますのは、注がれる油の気づきにあるという事です。
油とは、火の元(日本)の事です。
私たちは、得手して、捉える事ができる、燃え盛る火にばかりに目が行きますが、その火により隠れてしまっている、捉える事ができない、火を可能としている油(日本)に気づく事が、蟲によって、真の命を失わない道だという事です。
その道を示す口伝者を、こちらでは、〆シ家と申します。
写真は、松明で迎えられた景行天皇(景は大陸神道の暗示)を祀る、熊本山鹿(邪馬嘉)の大宮神社です。
多くの猿田彦石と共に、各支族のトーテムも集結しています。
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