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日本人は津四(祇園、エデン)の民

  • yamato-567
  • 2020年7月20日
  • 読了時間: 2分

大洪水が去った事を祝う、祇園祭が各地で行われています。

ノアの方舟で皆さんはご存じだと思いますが、日本人は、聖書には関心がなくとも、世界で最も祇園祭を祝う(正月と7月)民ではないでしょうか。

ところで、坂口自身、少年の頃は、方舟に乗りましたし、一人で引っ張りましたと申しますと、そんなウソップと驚かれるでしょうけれど、世界で最も漁民人口を抱える有明海は、干潟が、陸から数キロにも及ぶ時もあります。

それで、一般的な龍骨の船と、海苔や貝などの定地作業用の船の方舟と分けたわけです。

干潟では、舟を引っ張らねば、仕事になりません。

祇園祭でも船を引きますが、元々は、方舟型であったと思われます。

そして、その安定性のある船底に、人吉球磨の雉馬のような車輪を付けて、陸を運べるので、大和にも、熊本(卑弥弓呼の邪馬土)の巨石が運べたわけです。

海人にとって車輪は大事なものでした。

神武天皇の長子のタギシミミのタギシは、今では船の操舵の事ですけれど、私は、車輪と関係があるように思えてなりません。

その車輪(雉車)で、巨大な石が山の上までも運べたのですから、聖書の話にも真実味があります。

また、ついでにですが、邪馬台国までの道のりが、途中から距離ではなく日数となりましたのは、その方たちも、船を引っ張って、距離を換算するどころではなかったからだと考えています。

写真は、本場の京の祗園を知りながら、熊本の祗園山に眠る清原元輔(清少納言の父)を祀る北岡神社です。

世界で最も売れているギネス本の、海への冒険のワンピースの作者の、尾田栄一郎さんは、この地(坂口のプロフィール写真の所の海賊島が祗園山から海への出口)で生まれ育たれました。

このように、アニメの世界では、古代の日本人を暗示している場面が多くあります。

人が乗れる雉馬は、球磨のサガラの叔父が、材料の木材から植えて、自家製で造ったものです。



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