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日本の真釣り竿を持っていた隼人(海幸彦)、島津の礎を築いた球磨(肥文、一二三)人

  • yamato-567
  • 2020年8月17日
  • 読了時間: 2分

島津の元々の旗章は、タカミム巣ビ(ヤタノカガカミ)とカミム巣ビ(カタカムナカミ)の双羽が交差するポチ(灰のような白髪、ここ掘れワンワン)を示します。

それを字にしますと、羽の神々を集めて交わる、隼です。

また、私たちの目などの認識以前にありますので早神です。

そこで、隼と早は同じ意味となりますが、日本国歌の元の古今集第七が、薩摩琵琶歌(薩摩隼人歌)として出雲に伝わりますのも、意味があります。

出雲に神々が集いますのは、早神の双羽の仕組みを解く、お伽話という事です。

また、エジプトで有名な、隼の頭のホルス神が、隼炎神と記されますのも、タカミムスビ(霊)の火、カミムスビ(令)の火の、それぞれの片仮名でホル巣(世界、あなたという雛鳥のための巣)が生まれるからです。

それでは、薩摩隼人の旗には十字(双羽交差)が残るのに、日本国旗日の丸には十字が消えているのはなぜかと申しますと、片仮名の羽でなく、真名であるからです。

その真名は、霊令の炎(日)の元(本)ですので、日本という国名となります。

写真は、薩摩の旗章と、島津の礎を築いた千手の局の故郷として、江戸末まで、島津からの献納が続いていた、球磨のあさぎり町の内山観音です。

母の実家と同じ内山地区で、私の散歩コースでもありますが、民家も少ない田舎で、一日千首の和歌を詠んだとされるその才覚が、いかにして伝わってきたかは謎ですが、二羽が繋がる夫婦岩の巨石、アジアでは、位が最高位の人しか持つ事ができなかった金鍍鏡(宇宙世界を映す鏡、日の丸)なども、同じ町にありますので、謎は謎でないのかも知れません。

ただ、詠み人知らず(木地師)の歌である古今第七は、クマ人の天神の伝えです。

また、千手の局の子や孫である島津家久や豊久が、神武天皇生誕の狭野、高原を奉じ伊勢に参拝し、宣教師フロイスが書いていますように、織田信長に対しても、毅然とした態度をとれる方でした。

同町の、エジプトのピラミッドの目と似た天子宮、メソポタミアのエンキ(閻鬼)の写真なども、お借りしています。



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