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日本の名の由来

  • yamato-567
  • 2020年7月21日
  • 読了時間: 1分

景行天皇が、豊村の旭日から、この国は日本であると宣言なされてから、日本である事が忘れ去られ、再び、日本であるとお示しになられたのが天武天皇です。

豊と申しますのは、終わりなき世の永世(トヨ)であり、占し(〆シア)の卜世でもあります。

タカマガハラからタカアマハラへの移行(カミ→カガミ(中主)→うましあしカビ(発生))の曲玉の様子を、一の比日(平、鏡面)から口である言霊が顕れ、見るものと見られるものが並び立つのが豆で示され、合わせて豊です。

それは、インディアン(ネィティブアメリカン)が白い神を待望していましたように、一である平(鏡面)は、浮き世の映像である浮き橋、そしてそこに顕れている浮き舟の私の映像を可能にするスクリーンである白(宇宙開闢)です。

そのまだ分けてない一人子の白でありますから、天皇は大王ではなく、天皇なのです。

羽柴秀吉などは、その意味を承知していましたので、城は、大(一人子)を坂矛する大坂城で、豊の家臣の名をいただいて、関白、豊臣と名乗ったのだと考えます。

また、豊は、〆シア(示し家)のユタでもあり、古代ユダヤやアイヌや沖縄のユタも繋がりがあると考えています。

写真は、景行天皇が、球磨川から海へ出る、不知火から豊村へ足をお運びになられた時に、海に浮かぶ幻の不知火をご覧になられた、火の国まつりです。



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