日本のエルサレムの神殿は、必ず復活いたします
- yamato-567
- 2020年7月22日
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大同元年(806年)、旧暦の9月9日は、国宝人吉青井阿蘇神社の誕生日です。
なぜこの日が縁なのかは、9月9日は、最大数である陽数の9の重ね、一くくり(一周、菊理の円)の一人子で、令霊の二羽が同じの重ねとなる、鷹ノ羽(姑蘇→阿蘇→蘇りの示し)だからです。
そして勾呉(周姫氏太伯、太は泰)の都でもある人吉球磨は、梅鉢に真剣(あおうえいの母音の真釣り木→五輪の梅)の相良氏の梅の花によって更に開かれます。
そして、古代ユダヤでの神木、アブラハムの木といわれる松(ハム)で治められます。
〆シヤ(示シ家)に松の油が注がれますのは、形象として燃える火ではなく、火を可能にする見えない油(火の元、日本)を悟るものであったからです。
写真は、勾呉の庭園文化に似た、人吉青井阿蘇神社の蓮池です。
もう一つの写真は、球磨郡あさぎり町須恵阿蘇の、伯父太忠の自宅前の、樹齢700年近くのイヌ槙の木です。
松の代わりの霊木として、植えられていたそうです。
一時期、人吉青井阿蘇神社でも角松のウサギが話題となりましたが、このイヌ槙の木の中の空洞には、神の使いとして、野ウサギが、代々暮らしていました。
ウサギが留まるは、アブラハムの故郷の、メソポタミアのウル(宇留)の暗示です。
モーセがついたマンナ(白い種なしパン)は、鏡餅で月(留那)の示しです。
なぜ留那が大事かと申しますと、神社の本殿に鏡がありますように、留那(月)こそ、鏡である、私の実在(真名、マンナ)の示しだからです。
それで日の元の松の油を知る日本人は、那人でもあるわけです。
すこし離れた、太忠代々の墓は、畑一面、見つかっているものだけでも二百七十基以上あり、個家の墓としましては、世界的に珍しいものです。
アメリカのロックフェラ一財団の御曹司、エンブリ一博士が、戦前戦後に渡って調査された村でもあります。
因みに、タルシシ船の材木はレバノン杉ですが、松の仲間です。
日本人は正月にも松飾り、角松を立てますね。
国宝人吉青井阿蘇のウサギの角松などの写真は、お借りしています。

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