日本(ヤマト)がヤウマトなわけ
- yamato-567
- 2020年9月26日
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聖書に記される144000人のヤウマト(神民)とは、単純に人数ではなく、12支族(旧約聖書)×12単(新約聖書)×000(大和の三輪)という事です。
12支族はユダヤの十二支族の事ですが、十ニ単とはいったい何でしょう。
十ニ単とは、じゅうにひとえの事ですが、この元は五唐衣(五はイツクの斎、厳)で、イエスの子孫が建国した太秦では、天后(皇后)自ら、養蚕の重労働に携わり、それを織る人たち(ハトリ、服部)が、国の経済を支えていました。
その、秦のハタ織りの、一本の紐でほどける十二単の紐(要)は、イエスを示していると考えています。
また、養蚕をなされる日本の皇后さまは、その志を、今も受け継いでおられるわけです。
ところで、安徳天皇をお抱きの徳子が、弥生の末ともなれば、古の事が忘れられると嘆きました古(弥生)とは、弓月であり太秦の事です。
ところで、太秦→辰韓と交流していた三韓屋敷跡が、河内厳島神社ですので、清(セイ、シー、きよし)は海の迦那人を示す事を、平清盛は知っていて、厳島神社を奉じたのかも知れません。
エルサレムの第一神殿は、鳥井と禊ぎ池がセットなのですが、池と海の違いだけで、厳島神社も同じです。
そして、弓月の海岸からは入る河内厳島神社の手水舎は、火(太陽の門)と水(禊ぎ池)の洗礼(パブテスマ)の形をしています。
このルーツは、ユダヤの真似ではなく、はるか昔の、縄文人の祭祀の縄文火焔土器です。
ですから、火と水のパブテスマを復活させたイエスは、縄文人だと申しているわけです。
聖書の謎は、さらに千年王国と続くわけですが、それは平安京都(エルサレム)という事になります。
日本(ヤマト)は、144000のヤウマトの精神を忘れまいと、京都に本部を置かせていただきました。

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