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日本(ヤマト)が、あちらこちらにタケノコのように生えている、教えのコレクションのお手伝いをするグループであるなら、グループの存在価値はございません

  • yamato-567
  • 2020年9月24日
  • 読了時間: 1分

今現在、携帯電話ご購入時の取り扱い説明書を読みながらお使いになるお方が、どれほどおいででしょう。

読みながらですと、かえって不便です。

ところで、皆さま方は、これまで、教えのコレクションを増やしてこられた事と思います。

日本(ヤマト)では、その大葛籠となったコレクションを終わらす、籠からお出になる、最後の勇気に至る教えをお加木しています。 もちろん、終わらすのは、最後には、日本(ヤマト)の教えもです。 ちょうど、世界の生花アレンジが、隙間を埋める足し算に対して、最後は、霊令の和(マナセ)の零本の器のみで生ける、日本の生け花のようにです。 それで、感の良いお方は、これまでのコレクションが大事だとして、日本(ヤマト)に近よろうともなされません。 失礼ながら、それは、勇気があられないという事です。 あなた様のご存在(器)にお気づきになる事以外に、必要な教えはございません。 いつもご案内しております、東海の龍の棲む島の龍目は、籠目から竹(葛籠)を降ろしても残る何かを象徴しています。 写真は、竹取の龍神社です。


 
 
 

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