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新約と旧約の元のオリオン

  • yamato-567
  • 2020年11月23日
  • 読了時間: 2分

ギリシャ神話の預言では、目がみえなくなっていたオリオンは、東国で目覚めるそうです。

その一文が頭から離れないまま、長男は、耳下に三ツ星の印(先天性の傷)を持って生まれて参りました。

日本の西海の芳三山の鹿島(鹿島の祖)は三ツ星の三山でありますが、東海の鹿島も、東国三社の三ツ星です。

なぜか、幼少の頃から、遠い東の鹿島にご縁があり、今は茨城県の鹿島の日本製鉄に勤めています。

砂鉄の海岸と、タタラ水で育った私自身、製鉄にご縁がありますが、父は焼き入れ職人で、祖先の墓近くには、日本最古級の鉄斧が出土しています。

また、坂口のプロフィール写真は、鰐洞という名で、ユダヤの祭祀の一族(レビ、ハニ)だそうです。

ところで、エルサレムの市章は獅子でありますが、それはダビデの王統という事であります。

その子ソロモンの母は、ヒッタイトでありました。

鉄の文明のヒッタイトこそ、ハットゥシャで知られますように、獅子の門を造っていた人たちです。

このルーツを遡りますと、中央アジアにて、13000年前の大津波から生き残った縄文人であったのだと考えています。

この鉄の金(かな)は、13000年以前に、海で栄えた海の縄文人(迦那人)がルーツです。

迫害された迦那安のイエスの弟子たちも、ヒッタイトが造ったカッパドキアで命を長らえています。

それで、海の縄文人の加持を受け継いだ鍛治島(鹿島)の、加持鍛治山の田貫(田は神)さんなんです。

鉄の文明を持った旧約の獅子王の人たちは、燕(北京)あたりから、早くに日本に戻って来られています。

さらには、やはり獅子王イエスの子孫は、服職などの技術と共に、日本へ戻って参ります。

その拠点となった辰韓の外交屋敷跡地が、坂口の産土神の河内船津厳島神社です。

旧約と新約が時代を超えて同居したこの地で、なぜに争いにならなかったのかは、13000年前の共通の祖先の口伝があったからです。

ちょうど、ペルシャのキュロス大王が、捕囚の民であった旧ユダヤ人を助けたようにです。

ですからイラン(ペルシャ)もイスラエル(ユダヤ)も、古代、超古代の歴史、海の縄文人の教えと歴史を知りますと、自ずと争いは小さくなるのです。

昨日の地震は心配いたしましたが、本日早朝、長男は、鹿島への帰路につきました。

写真のタタラ水の獅子は、イースターなどの満月の夜に浮かびあがります。

神社の手水社は、イエスの火と水の洗礼で、このルーツは、縄文火焔土器です。

ハットウシャの写真はお借りしています。



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