手のひらを返しますと、日月星辰、星々のふるえがわかるとおっしゃる方もおいでではないでしょうか。
ところで、天が凝る(アンゴル)とは、日本建国の日の空の事です。
鶴(北斗八星)と亀(北極星)の、天水を掬う柄杓星が統べります。
皆さま方がおっしゃる、鶴は千年、亀は万年という言い伝えの真意は、津留は干し捻転、水瓶は満ち捻転という満干の玉(はたらき)の事です。
天下(球磨弁でアモイ)となりますのは、神の一人子の気づきであるという事です。
1999の末を法とする認識は、666という霊の本の認識にひっくり返されます。
同じに、大津波でひっくり返った世界を、その認識と共に新しく祝う祭りが祇園祭(七の月)です。
ところで、釈迦が摩耶の脇(神は在る・私は在る・私の現れの三つの力を示す月、1月11日の鏡降ろしの示し)から生まれ、天上天下を示した元には、バル神(火と水の洗礼、火と水の呼吸、海のセイと火のバルでセイバル)の示しがありました。
これは、霊の禊ぎの瀬昇津(高瀬、タカミムスビ)であり、水の禊ぎの瀬降津(カミムスビ)です。
なぜ、わざわざ霊に喪ぐり、水に潜り、息苦しい火と水の呼吸をせねばならぬのかは、息苦しい時に初めて、呼吸をさせようとする、生かすはたらきに出会うからです。
それは、日月星辰がわかるという事でもあります。
写真は、アンゴルアモイの大王が刻んだ、拝ヶ石巨石群の柄杓星です。
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