top of page

戈(坂矛)で戌と成りますのでイ成り

yamato-567

ツロ(日本では綿津見)のヒラフ王(日本では安曇野比羅夫)は、ダビデ王とソロモン王の神殿普請をしていました。 神殿は紫で、建築ですので筑紫という事です。 ところで、熊本の筑紫(岩戸山)周辺は、海神(綿津見)神社が多く建っています。 特に九州王朝が終わってからは、名も変わっていますので、以前は、一集落毎に建っていたとも申せます。 それで、熊本のソロモンの峰などの七奇岩の神殿は、ツロ(安曇)が遺したものだと考えています。 それでは、なぜに、ダビデ、ソロモンは、自らの命よりも大事な神殿建築を、ヒラフに任せたのでしょう。 今の凍てつくシベリアの大地が、年間を通して春のような気候の時代、今のアムール(黒龍)川では、すでに神殿(斎園殿→エデン、岩殿→岩戸)が築かれていました。 そこで使われていました黒曜石が、一度は韓半島の沖合いで船と共に沈んでいたものを、恵比寿石を探しに海に潜った祖先が見つけた、坂口の実家に受け継がれている龍目です。 そのエデンの園は、偏西風の変化と寒冷化により終わり、今の長江で野生米から稲作が本格的に始まったのが8000年ほど前です。 その稲作では、神殿(岩殿)建設時の巨石を動かす技術が生きました。 その時の灌漑施設をトモと申し、熊本では今も同じです。 それで、長江と熊本の地名が似ているのですね。 そのトモは、西へ渡り、ダモ→ダムと訛り、アダム(成す人、Do)となったのです。 これは、古代ユダヤ人が捕囚の民となった時、ニップル(日育)に広大な灌漑施設を造れた謎でもあります。 話を戻しますと、黒龍川から南西に渡った人たちは、黒海にたどり着きます。 黒海では、熊本の櫛目紋土器と極似した土器が出土しています。 さらに南下した人たちが、カナン(津露)の地を築いたのです。 後世のイスラム教(回教)では、黒石を七回まわられますが、坂口に口伝される祭祀の方法と似ています。 神日(カラ)の日本全国の、櫓を回る祭りの形は、まるでカバラ神殿の縮図のようです。 坂口の場合は、人ではなく幽柱を七回まわらせます。 そのメッカのカバラ神殿の黒石は、エデンの園のアダム(成)に落とされた石だそうです。 ちなみに、古事記での神生み島生みの坂矛の回しでもあります。 ナギナミ(成)→神生み(戌)→島生み(戊)です。 戈(坂矛)で戌と成りますのでイ成りというわけです。 これは稲荷(生成団子)でもありますが、イエスがイナリと言われる謎でもあります。 それで、西から来た人たちが、私たちの祭祀を奪って、本物の真似をしているという誤解も生じたわけですが、元は一つなわけです。 日本(ヤマト)のグループは、歴史考察と個々人の霊性復活により、宗教と宗教、民族と民族の争いを小さくする提案をしています。 皆さま方のご参加をお待ちしております。



Comments


記事: Blog2_Post

Subscribe Form

Thanks for submitting!

©2020 by 日本(大和)。Wix.com で作成されました。

bottom of page