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息(言霊、那日ムス)で会話をしていた迦那人と、古代日本の創世。

  • yamato-567
  • 2020年10月24日
  • 読了時間: 1分

鬼滅の刃というアニメで、竈門神社が人気だそうですが、綿津海の時代、九州(筑紫)は、内陸まで海が迫っていました。

それで、驚かれるかも知れませんが、有明海と九州北部は、水路で繋がっていたのです。

坂口の祖先は、熊本から長崎を迂回せず、直接、北九州に舟で行っていたという事です。

その筑紫の水の道で重要な、竈門山の門の意味は水門であり、当時の日本(天智天皇まで)は、都であれ、有明海の時刻が使われていましたが、水落ちで刻まれる時刻は、水門を開けるために役に立ちました。 ちなみに、肥後守と成り、岩戸山で修業をした清原元輔(清少納言の父)が、竈門山が特別な場所であるとして、歌詠みの伝説が遺っています。 竈門山の写真は、お借りしています。


 
 
 

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