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幸霊(おむすび)石

  • yamato-567
  • 2020年8月6日
  • 読了時間: 2分

古代の幸霊の読みが、サチではなくサキでありますのは、666の蕾が、369と咲く(木花咲耶)事を意味するのですが、それは、一つ一つの花比日(比日密土)としましては、離れる事を意味します。

なぜ、離れる事が霊(記憶)なのかは、一人(金剛密)では、何もないからです。

日本語のあいが、相であり合であり愛でありますのは、空ァ山ァと軽く昇る響きと、海ィ大地ィと重く沈む響きに分け、そのアイの錬磨の抱き締め(霊抱き)が、日本語のみ全ての動詞の締のウ声であるからです。

その抱き締めも、離れているからできる事です。

また、ウちゅウの動きに終わりがありませんのは、宇宙の字が示す通りです。

そして、離れる事で、何かがあるので、幸せも苦しみも感じているわけです。

また、時化(しけ)としましては、666の蕾が369と咲いて、その花比日(咲き分けた相合の幸福)が散(去)っても残る実(666、実在)により、666に戻っただけなのに、存在そのものに喜びがあるという認知(生108-九九神那木81=三三九度27)が残ります。

それは、幸霊の幸とは異なる、全き幸福、絶対的幸福とでも言いつくせない幸福という事です。

人生(木花咲耶事)による、私が何であるかの智は、全き幸福、絶対的幸福の気づきの道という事でもあります。

また、その人生(木花咲耶事、369の下生)が、すでに用意してあるというそのものに、あなたが何であるかを示しています。

写真は、拝ヶ石巨石群の比日密土石です。



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