平安(エルサレム)の本来の型
- yamato-567
- 2020年9月22日
- 読了時間: 1分
高校生の時、初めての空手の初段の昇段試験の型は、平安の型でした。
空手の基本的な動作が盛り込まれているがゆえに、ハネやトメ、ナガシ、ハライなど、それが不思議と、書道の基本の動きなのです。
ところで、文字にしろ言葉にしろ、私たちの表現は、幸せを求めるがゆえではないでしょうか。
そして、幸霊が、玉詰め結びでありますのも、その根幹には、他者との距離を詰める、意図がはたらいています。
それではなぜ、他者との距離を縮める密(玉詰め)が、幸なのでしょう。
そこには、映像として現れる世界は、反射する鏡の原理がはたらいているからです。
見るものは見られるもの、聞くもの(耳)は話すもの(口)→聖という事です。
鏡に映った自分が気に食わなくて、吠えているのですから、いつまで経っても、不幸は終わらないわけです。
ただ、自分といえども、毅然と対処する事は大事です。
その原理に気づくように、神社の本殿には鏡がありますが、神社の神具の一つ一つを、よくよく観察いたしますと、私たちの祖先は、とても愛(合)があり親切だとわかります。
写真は、私の産土神の、河内船津厳島神社の手水舎の磐座です。
船型は、鏡により現れている非実在の浮舟の自分(他者)を暗示し、その中の水円鏡は、実在の自らを暗示しています。







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