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平十字(○+。)

  • yamato-567
  • 2020年10月2日
  • 読了時間: 2分

そもそも、なぜ言葉と申さず、言霊と申すのかですが、ちょうど、水が空気に溶け込んでいる時に、流体である水と言わず、空気中の水分(水蒸気)というようなものです。

言霊は、令(物)の世界にあって、物でない想い(霊)の響きに属しながら、物(令)の響きを生かしているものです。

ちょうど、空気に水分がありますと、朝づゆで草木の葉先が生き返り、水に空気分がありますと、魚たちが生き生きと動き回るようにです。

その、霊と令とに分けた循環の交差を、平十字と申します。

ですから、カタカムナを伝えた方の名ではなく、教えの名です。

言葉が通じなかったのは、高句麗の言葉に近かったからではないかと考えています。

その背景の一つを申しますと、古代、高砂やの歌にありますように、熊本から岡山、兵庫県までの航路は確立していました。

吉備の古代の墓が、熊本の石で造られただけでなく、熊本の火の君が、人を生き返らせた(継体)伝承などが吉備地方にありますのも、そのためです。

宇喜多は、こちらの宇城と似ていますし、宮本武蔵が、熊本で修行をし生涯を終えましたのも、自らの故郷の謎の先に出会ったのではないでしょうか。

特に吉備るとは、神道でも大事な、結ぶという代表的な熊本弁です。

ところで、ヤタノカガカミとは、八咫鏡の霊(内反射)を示し、カタカムナカミとは、真名(鏡)の光が分けて片仮名となる令(今の時間、外反射)を示しています。

神名で申しますと、鏡の内なる隠れる霊はタカミムスビ、アマテラスであり、鏡の外で波と荒(現)れる令(荒波を時化と書く意味は今の流れ→令)はカミムスビ、スサノヲという事です。

写真は、高砂やの歌の元となった古今の歌詠み場があり、宮本武蔵が五輪書を記した、岩戸山の麓の平(ダイラ)の水車小屋です。

水車小屋は、循環∞する平十字(すぅずぅう→す(霊)とう(令)→うちゅう)の教えを暗示しています。

近くに、6000年前以前の船着き場があります。



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