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帰去来辞。すべての官職を退けて田園に生きる決意を語った詩である。

  • yamato-567
  • 2020年9月12日
  • 読了時間: 2分

陶淵明の詩の帰去来辞の一節、園日渉以成趣から水前寺成趣園の成趣の名が付けられましたが、その帰去来辞がなぜ成趣なのか、また、各々の田舎で、個々人が自立しながら、将来の食料事情を支える、半年金半農生活をお勧めする、日本(ヤマト)のコンセプトなのかをお話し申しあげます。

官職を一切合切辞めて、立身出世を諦めなければならない時、実は、その時こそ、人生の成就、言祝ぎ(寿ぎ)の良き機会なのです。

なぜなら、明らかにみるとは、諦めからみるという事だからです。 その明かされる何かは、在るから成る事(鳴る言、言祝、福音、コトサカヲノミコト)の成趣であります。 ところで、日本国歌君が代が、古今和歌集の巻第7にある事はご存じだと思いますが、その古今の秘伝は、熊本から京へ渡って、今は御所伝授と成っておりますが、その古今伝授の間は、水前寺成趣園の中にあるわけです。 水前寺成趣園には、東海道の情景が造られ、それは日本の雛型を示しています。 ところで、人の支配の欲は、世界へ、宇宙へ、果ては異次元世界へと及びます。 それは、地図を広げて比べますとわかる事ですが、水前寺成趣園の形は日本の形、日本の形は世界の形と広がるわけです。 その際限のない雛型へのとらわれは、そのしがみついた雛型を手離した(諦めた)時、すべては、私(鏡、次元の元→日の本)の雛型(映し世、次元)であったと気づくのです。 それが古今伝授、日本国、日本国歌の奥義という事です。 その立ちはだかる奥義は、個々の日本(ヤマト)のメンバーさまのご挑戦でもあり、眺め(景趣)でもあります。






 
 
 

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