聖徳太子もイエスと同じように厩戸王(星の観測所→馬宿→岩戸、アマテル)でありますので、火の君から分かれた筑紫の君(岩戸山の王)と同じ岩戸の王となります。 実際に、岩戸山の観音と同じ磐余の船板観音の寺で仏像を彫っています。 聖徳太子の師の日羅は、韓半島と熊本を実家とする、火の国の人でありました。 ところで、火之迦具土の子である建御雷神が火の君伝承のある鹿島大神でありますから、火之迦具土は、限りなく火の君という存在に近いわけです。 その鹿島の祖神を調査していた南家藤原当主保則は、鹿島の祖が、烏土宮(私のプロフィール写真の場所)である事を公にしました。 その後、全国で起きていた疫病に対処し、一揆を人を殺さずに収めた功績は、後世の徳川家康を自らのルーツと言わせ、そのため、江戸時代に烏土の宮にアマビエが現れた時には、遠い熊本での話が、江戸では一笑される事なく大騒ぎとなったのです。 何の因果か、長男はサッカーをしていた幼少の時から鹿島にご縁があり、社会人になってからも、火の君の時のように、日本の中央構造線断層帯を、親子で、東の海の鹿島神宮と西の海の近津鹿嶋神社で挟んでいます。 今年になって、私が持つ龍目(迦那目石)が、鹿島神宮の要石と同じ形に変化する事がわかりました。 逆から申しますと、何の危機もなければ、このような状況になっていないわけです。
yamato-567
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