封印された日本の歴史
- yamato-567
- 2020年9月22日
- 読了時間: 4分
毎日、ローカルな歴史の話題ばかりで、申し訳ありません。
私は、歴史研究を仕事としておりませんが、それも、消えた日本の歴史と、世界の歴史を知る手掛かりになると考えて、毎日、投稿しております。
日本人の日本人たる誇りは、世界で最も長く続いている、歴史にあります。
その歴史を知る事は、人類が、平和に至る道でもあります。 その歴史が、自虐史観ばかりで、はたして、次世代に、引き継いで、よろしいのでしょうか。 本日の話題には入りますと、伽耶(狗邪韓国)に集った旧ユダヤを含む日系人は、首露王の元、一つとなっていきます。 その金官伽羅は、新羅国となっていくのですが、ややこしい事に、日系人が建国した国も、流民により民度が落ちて、百済などには、バカにされるようになります。 それで、元は同じ日系人の百済と新羅は、相容れなくなったのです。 それでも、国を建て直すために、熊本の多婆那(玉名)から来た、昔脱解の一族などにより、新羅の王朝は存続する事となります。 因みに、高句麗の遺臣で建国された百済復興に、日本が、国の命運を賭けてまで、白村江での戦いに挑みましたのは、高句麗(コマ、発声はクマ)は、日本(球磨)の勾呉の王朝の遺臣で建国された王朝だったからです。 この頃は、半島は、まだ、日本という感覚だったのです。 また、日本との間で、海を渡っている渡津見なので、大海人という事です。 玉名周辺は、海神(綿津見)神社が多く建立されています。 話は飛びますが、唐・新羅連合軍に、日本・百済連合軍は、白村江で大敗し、九州は、民度の低い進駐軍により蹂躙されます。 その時、諦めず、日本を守って、戦っていた人たちの事を伝える祭りがあります。 神風連が、護国の尊社としました、近津鹿島神社(太古の宇土の宮、藤原氏の祖先の地)の火祭りでは、火の投げ合いとなります。 その松尾近津(近江大津の天智天皇派)と河内町を挟んで隣町が、先述しました玉名の天水町小天(天皇と名乗った天武派)で、面白い事に、百済と新羅に、河内町は挟まれているのです。 それで、父も祖父も、総代の役まわりを勤めました、河内船津厳島神社の周辺には、古代には、各国の大使館が建ち、外交交渉が行なわれていました。 また、玉名天水町小天には、表向きは、疫病を鎮める目的という事で、小天天子宮が建てられ、日本を蹂躙している、唐と新羅の分断外交がなされていました。 そこで活躍しましたのが、水前寺でもあり、肥後守、道首名です。 阿倍氏などに繋がる、君氏なのですが、首露王の元の、大海人だと考えています。 阿倍氏が、半島人の子孫だから嫌いとおっしゃる方もおいでですが、古代半島の先住民は、日本人だったという事から、まずご理解ください。 戦中戦前、樺太に住んでいて、引き上げて来られた方々を、ロシア人と申さない事と同じです。 また、小天(おあま)という名は、私の中の宇宙という事で、宇宙の中の私は、大海(おおあま)と成ります。 小天天子宮は、親戚の家の目前でもあり、子供の頃は、火祭りを見ていました。 この宮の、素足で火を渡る、火渡りの火祭りは、修験道のものです。 後に、肥後守と成った、京都の歌聖の清原元輔は、坂口の花坂店の前の国府、水前寺に居を構え、松尾近津、河内、玉名小天の山である、芳山の昔の坂口の実家もありました岩戸山に、歌詠みの修行に来ていました。 それを喩えますと、紅白歌合戦のオオトリの歌手が、田舎のカラオケ店の店主に、歌を習いに行くようなものです。 その謎は、大海人の天武天皇、その皇子の、河海の人を暗示する舎人親王の子孫である、清原元輔だからという事です。 清原元輔は、熊本で眠る事となります。 また、岩戸山で歌詠みの修行をしていた、山部赤人の母は、山部赤人をリスペクトしていた、古事記編纂者の太安万侶と繋がり、古事記の解読書の古今集の歌詠みと繋がり、京と熊本を行ったり来たりでややこしいのですが、古代、多婆那(玉名)の人たちが移り住んだ丹波那(丹波)から来た、水前寺成趣園の古今伝授の間と繋がっているわけです。 この時代、歴史が改竄されていますのは、中国や半島で、民の安住を祈り統治していた日本人が、再び取り戻しに来させないための、日本歴史抹殺の計略です。 また、父元輔を辱めないようにと、常日頃から心掛けていたという、清原元輔の娘の、清少納言の枕草子でもわかりますように、この時代、世界人類に秀でた才のある日本人が、いい加減な年を書いたりはしないはずです。 驚く事に、この投稿を記している途中で、その清原元輔が眠る北岡自然公園内の北岡弓道場から、花束のご依頼があり、只今、お届けにあがりました。 応援、いたみいります。 写真は、海神の示しであります鯨面の刺青の火鳥(朱鶏)です。 おそれながら、天武天皇の元号が朱鳥でありますのも、何か繋がるのかも知れません。 結局、聞く耳のあるユダヤの民衆はいませんでしたが、イエスが申した夜明けを告げる一番鳥、一般的神社の明神鳥井は、阿蘇の時告の火鳥と伝わる、この朱鶏と同じ意味だと観ています。



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