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富士は晴れるや

イエスの家族が、蝦夷の地にたどり着いた時、どうして、弟として迎え入れられたのでしょう。

あくまでも推察ですが、言葉は時を経て通じにくくなりましても、漁師の歌は、変わりにくかったからです。

ヤーレンソーランは、ニシンの群が来た時に、物見櫓で歌を唄って知らせた、ヘブライ語だそうですが、ヤレンは歌を唄おう

という事で、ヤーは神で、レンは賛美のハレルヤのハレンだと分析いたしますと、漁師からは想像もできない、賛美歌になります。

ソーランは、物見櫓のハシゴだという事ですが、私は、アブラハムの故郷のメソポタミアのウルのジッグラトのように、七つの階段を昇る事、日本では、古代の出雲大社、元々は七つの鳥居をくぐった稲荷神社の挑戦ではなかったのかと考えています。

その挑戦とは、冬至(一番鳥が鳴く時、夜明けの番)までの、私は真理(キリスト)を知らないという三日間と、冬至後の、キリストを知った復活の三日間の事です。

キリストとは、不二の気づき(一人子)という事になります。

富士は晴れるやとなりましたでしょうか。

写真は、いつも載せています、時告の火鳥ですが、阿蘇で曾祖父がいただいたその前は、まだ信じられませんが、驚く事に、明治御帝の御手にあった、つがいの朱鶏(実家のは雄鶏)だったそうです。

そして夫婦のつがいは、夜明けの番の番(つがい)にかけてあるそうです。

籠目→竹取(竹は生長の象徴で、取は二つに分けてゆく生長を元に戻す事、不二)→龍目の石、亀(キ、北極星)と鶴(ミ、北斗七星)の代の示シがある古今和歌集の巻第七(日本国歌)、そして、その示シがある拝ヶ石巨石群の鏡石に刻まれた星座、延びた影の後ろの正面は何かを伝える口伝、その後ろの正面(イエスが申したあなたは誰かの答えの、私は在る)こそ、不二という事です。




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赤子

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