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孫に形見として渡すもの

  • yamato-567
  • 2020年9月24日
  • 読了時間: 1分

私たちは、ここ数十年、数百年の歴史を見て、それが私の血肉だとの勘違いがあります。

数万年と、平和に生きた時代が圧倒的に長いのです。

そして、腸の機能一つでも、何万年の間に培われた、海藻を消化するという、日本人、古ポリネシア人の能力があります。

その海の暮らしを背景として、生かされているという気づきを、失う事がありませんでした。 なぜ海では、生かされているという事を確かめられるのかと申しますと、海に潜りますと、呼吸をしなければならないという、息苦しさのお知らせが参ります。 私が息を止めようにも、息をするように、生きるようにはたらくのです。 そのはたらきを信じずして、何を信じるのでしょう。 それが瀬降津の禊ぎの真意です。 日本人としての誇りも文化も、何々教の救世主さまも、浮かんでは消える、二次的なものに過ぎません。 写真は、岩戸山が火山湖だった大昔、棲んでいた龍が遺した蜘蛛貝と、魚の捕り方さえも教えてくれなかった祖父の、形見の蜘蛛貝です。 蜘蛛貝の螺旋回転は、私の耳と共鳴し、私を生かそうとするものの子守唄を聞かせてくれます。









 
 
 

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