子孫が豊かに暮らす豊葦原の願いと、一二三の階段
- yamato-567
- 2020年9月2日
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豊葦原(地球世界)を治めた私たちの祖先の地を、取り戻そうとしたのが、豊臣秀吉であったのだと考えています。
その馬印が、千成瓢箪でありましたのも、真名瀬の壺の形に近いのかも知れません。
また、瓢箪が逆さでありますのも、前方後円墳も、実は、相撲の土俵も、上円下方墳の六芒△▽○△▽□であるのが正解です。
ところで、宇宙の渦の中心、北斗七星と北極星(天神)は、その雛形を見ればわかるとされ、水前寺成趣園は、その示しとして、日本の雛形で造園され、また、園の中に、日本の霊統の国体であります、古今伝授の間もあります。
世界地図と日本地図を並べ合わせて見ますと、似ているのがおわかりかと思いますが、実は、日本と人の雛形の間に、天草があり、天神の世紀末伝説が、天草四郎の逸話と重なったのかも知れません。
写真は、豊臣秀吉の馬印、天草四郎時貞の馬印、真名瀬の壺と考えています球磨の免田式土器、創建は757年とされながら、さらに古いのではないかとされる豊葦原神社です。
熊本の八代の豊葦原神社には、ーニ三(ひふみ)が刻まれた石段が現存いたします。
写真は、お借りしています。

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