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夫婦岩の奇跡

  • yamato-567
  • 2020年8月14日
  • 読了時間: 2分

熊本では、白川(阿蘇黒川→白川)を挟んで、上弓削神社と弓削神社があります。

川中の飛石を渡り男女が逢瀬を重ねるのです。

これは、五穀豊穣の祭りであるのですが、ウトゥ(ユーフラテス)川を挟んだウルとウルクの、メソポタミアの祭り方と同じです。

聖書では、産めよ増えよ地に満てよ、という一文にあたりますが、説明はありません。

古代は、ウト(宇土)であった、白川、緑川の河口に近い所は、大糖や、銭糖などの糖(トモ→ダム)の地名が残ります。

これは、朝鮮出兵をし、古代日本人が築いた蔚山(ウルサン)倭城を再建していた加藤清正でしたが、熊本には、さらに古代に半島から渡ってきた、ゼネコン軍団がいたわけです。

弓削の暗示の、弓を削る武装集団の名は、元々は、米をつくるための堤防(熊本弁でトモ、糖)の名でしたが、その技術は、いつしか城を造る技術となり、軍備を備える技術の伴となったのです。

エジプトのピラミッドと同じ布石工法が、韓半島の古代の城や、熊本のトンカラリンで採用されていますのは、大伴氏の流れでもあります。

これは、唐(糖の暗示)から渡ってきた海幸彦(熊襲隼人族)が、近衛と成ったという囗伝と一致いたします。

ところで、白村江の戦いの世界大戦までのきっかけの一つとして、大伴(伴)氏の、韓半島の任那割譲の余波が、それまでの、日本の政権内や、三韓諸国の均衡を破る事となっていきます。

続きはまたの機会にいたします。

写真は、武人と成った大伴氏も、伴うという(天皇に伴うは一般的解釈)夫婦、巨石を動かした氏族を示します、芳山(金峰山)の夫婦岩です。

石の運び方、繩の編み方が伝えられてきた、宇留(ウル)地区は近くです。

明治に、日本各地で大地震が誘発する最初となりました、芳山の金峰山地震では、崖から落ちて、離れ離れとなっていた夫婦岩ですが、今回の熊本地震で、また結ばれる事となった、奇蹟の巨石でもあります。



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