太秦の天王を支えた服部
- yamato-567
- 2020年9月13日
- 読了時間: 2分
イエスが十字架で贖罪したという従来のキリスト教の方々に申しあげたい事は、そのイエス一行を迫害したローマによって、しかも二度のニケア会議で編纂された話が、どこまで真実だと言えるのでしょう。
実は、裏切り者の名を受けて、イエスを逃がし、口を割らない自死を選んだユダは、忠義者です。
編纂そのものが、支配者の都合ではなかったでしょうか。
そして、真のイエスの意志を受け継いだ人たちは、迫害により国を追われ、新たに国を建国した人たちではなかったでしょうか。 それが太秦(前秦)です。 終わりの日には、かって敬虔なユダヤ教徒が、みすぼらしい格好のイエスを疑いましたように、同じ事は繰り返されます。 なぜなら、イエスは、いつも寄り添ってきたからです。 ところで、十字には、十字架とは全く別の意味があるという話をして参りましたが、イエスが生きて子孫を残し、その子孫が、太秦という国を建国し、国が滅びた後は、日本へ渡って来たと、その落ち延びた太秦により建国された秦韓(辰韓)と交流し、血も受け継いできた祖先から口伝されています。 ところで、応神天皇が頼りになされたのは、アヤハトリとクレハトリの服部(服飾)です。 なぜなら、迫害により国を追われた地は不毛の土地も多く、物部のうち、服部で稼ぐしかなかったのです。 太秦の天后自ら、養蚕の重労働をなされたと伝わります。 そして、世界で唯―、王室で養蚕が行われているのは、日本の皇室だけです。 しかも、絹の道の終着駅である正倉院の宝物も、皇后さまご養蚕の絹で、修繕されているそうです。 また、不思議でありますのは、古事記編纂の太安万侶の名が、太秦の元号でもあります。 写真は、八幡(ヤハタ、矢部の神)社の大元といわれる、熊本の菱形八幡神社近くにある菱形池です。 伊勢も菱形ですが、菱形の禊ぎ池こそ、エルサレム第一神殿の禊ぎ池(瀬降津)の真の姿です。



Commentaires