天王(太秦の王、聖、イエスの子孫)を支えた服部氏
- yamato-567
- 2020年8月4日
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人間の暮らしを長くしていますと、心というものが、聞くもの(耳、○、日足り手)と話すもの(口、□、身際手)に分けている(偶像の)仕組み(柏手が左手が高いのは、神と人の関わりの○タルムスビだから)である事にお気づきになられるでしょう。
ところで、般若心経の冒頭の観自在(観音)菩薩とは、聞く耳と話す口の音の仕組みを研究している人(求道者、菩薩業)という事です。
菩提蘇若とは、求道の完成(終焉、蘇り)であり、耳と口を可能にしながら、耳や口でない何かです。
それを王と表現し、聖(片仮名合わせの真名、和霊玉○と幸霊玉□の玉依せ)としたのです。
なぜそれが道でもあるのかですが、動くものを可能(乗)にしながら動かない(不動)、龍命(ぐぬち)の入口であり出口であり、命の初めであり終わりであるからです。
映画で申しますと、上映が終わっても残るスクリーン(白神)のようにです。
ところで、太秦の経済を支えた、シルクロードの隊商を父とする鳩摩羅什(平十字の球磨理、菊理)は、仏典の翻訳者です。
また、白飯の王名のサカ族は、古代インドに稲作をもたらしましたが、その元は、先ほど投稿をいたしました、玉名の玉依姫のルーツと同じナ一ガエ(長江)です。
黄河で稲作が始まった倍以上昔から、日本人は、長江で稲作をしていました。
サカ族は、その縄文人の分かれという事です。
インドの仏典に載る樹齢数千年の豆の木は、熊本(菊鹿と天草)と長江に自生します。
イエスの子孫が、日本にたどり着く事ができた大手柄は、シルクロードの隊商に隠れながら道を迷わない情報があった事と、追っ手のキリスト教(ローマ)からしますと、異教徒(仏教)という忍(隠れ蓑の技術)を、ハトリ(服部)氏が持っていたからです。
写真は、その方々が流れ着いた、坂口の実家の弓月の畑下の海岸ですが、古代、大陸から日本を目指した大海人が目印にした芳三山(東海の海の上に立つ三ツ子の山)が見えます。
芳山に住む、阿知王の子孫の方々は、クレハトリ、アヤハトリに関わりになられたのだと思います。
また、芳山周辺は、玉名にかけて、綿津見(海神)神社が並びます。
坂口のプロフィール写真の海(鰐洞)は、古代ユダヤ人が上陸しましたが、弓月の畑と肥州高野山の中ほどです。
その肥州高野山に、木花咲耶姫の化身といわれる聖観音があります。
聖観音と坂口(花サカが屋号、666蕾→369咲→666不動の暗示)がつかむ弓は、やがて蓮の花と変わります。
狗奴(球磨)の卑弥弓呼の名も、海を渡ってきた弓月の名ではないかと考えています。

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