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大航海で成した大和魂

  • yamato-567
  • 2020年7月8日
  • 読了時間: 3分

明治の初等科教育読本を読みますと、当時の日本の教育水準が、世界最高水準であった事もありますが、現代の日本の同世代の知識でありますと、ほとんどが、落第点となるでしょう。

私たちは、コンクリートの景色が建て変わる度に、知能が進化しているとの、外見にとらわれる錯覚にあったのです。

とは申しましても、人類は、悠久の歴史の上では、他の種にない知能を生かして、確実に適応力を発揮してきました。

そして、アフリカを出た人類に、最後の壁を見せたのが、まだ大陸と陸続きだった台湾付近からの、日本への渡行です。

話の場面は飛びますが、海上自衛隊での事、カッターボート(大型の手漕ぎ船)でのスピードに、これなら大海原も行けると思ったものです。

その反面、龍骨や尖った先端などの、水や風の抵抗を小さくする舟の仕掛けは、丸木船にはあまりなかったと考えていました。

それで、海を渡れましたのは、それまでは、体力勝負だったと考えていたのです。

ところが、摩製石器は、高度な研磨技術で削られ、その石には、力をより効果的に作用させる、柄が付けられた跡形が残っています。

要するに、斧です。

さらには、拝ヶ石巨石群の、人工的に動かされた、高さ8m程の巨石、その巨石を動かす運搬技術もさることながら、その巨石に刻まれた穴は繋がれて、星座の形を成しています。

この巨石が、太陽観測をする巨石である事から、その星座も、何らかの意味があったと考えています。

一見しますと、天水を汲み上げる柄杓星といわれた、古代の北極星ではなかったかと思われます。

それは、ずいぶん後世の大航海の時代にも、頼りにされた星です。

その、人類最初の大航海を成した日本人は、その成した秘訣を、記憶の遺伝子に遺していると考えています。

ところで、船の上でのワガママは、たとえ船長であっても許されません。

陸上では一人のワガママが、全員の死に直結はいたしませんが、海上ではそうは参りません。

当時の丸木船は、今の宇宙船がおかれた環境のようであったと考えています。

和を以て貴(尊)しとなすの、厩の王の言葉を実現できる知恵は、すでに、私たちのそれぞれの胸にあります。

古代のエジプトでは、一人の支配をなくし、和を似て尊しとなすため、それぞれに個別に分けた秘伝を、バッグに入れて持ち寄りました。

誰かが欠けても、碑文の秘文の解読はできませんでした。

それも当時は、あくまで、儀礼的なものであったと考えていますが、その真の番が、今の私たちです。

口伝では、北極星が統べる夜明けの晩は、番(散り散りになった神民(ヤウマト)のつがいを集め大和を発揮する時)と伝えられて参りました。

それは、今の日本(ヤマト)の天命という事です。

古代エジプトで、祭司により持ち寄られたバッグの写真は、お借りしています。



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