四海をはらから(同胞)にという、弘徳をもって治めていた東海龍王
- yamato-567
- 2021年1月31日
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中国では、地球上で、最も広大な土地を治めていたとされる東海龍王。
四海(五海)龍王の中で、中心的存在でありましたのは、天皇のお言葉にもありますが、四海をはらから(同胞)にという、弘徳をもって治めていたからです。
竜宮城に、カニやエビに守られて棲みますのは、東海龍王のふるさとは、今は、中国から見て東海の、海の底になっている、比喩だと考えます。
私は、竜宮(竜球)は、13000年前の大津波以前の、那日ムス比曰仁育宇舎を示すと考えているのですが、それを受け継いだのが、神伝にあります、ウガヤフキアエズであり、永世(豊)の国です。
それも、竺紫(邪馬土)から奈良(大和)へと受け継がれたと考えています。
魏志倭人伝での、邪馬台国のありかを、真面目にたどりますと、日本の南方、東海上の海になりますので、この記述は、間違いではないかとされていますが、雲を角力する雨宮(アーメン)の斎王、卑弥呼や台与が踏み込んだ世界の、玄関なのかも知れません。
それでは、東海龍王の島、那日ムス比曰仁育宇舎は、なぜに海の底なのか、ですが、神伝のウガヤフキアエズの神名そのものに、秘密があります。
五色人(五龍王の民、平愛、ヒラメの民)を統べる龍王の民は、天皇に氏姓があられませんように、万民を真釣り合わすために、公(出家、サンガ)であったのです。
ところが、あるものが、王の死をきっかけに、王の喪も明けぬうちに、王の姫を妻とし、王を名乗りました。
ウガヤフキアエズとは、その前後も含めて直訳いたしますと、屋根の葺き替えも終わらないうちに、赤子が産まれた、という事ですが、屋根の葺き替えは、宇気比で決められる次王の選定で、それがないまま、次なる王(赤子)が誕生してしまったという、教訓のための神名です。
なぜに教訓となったのかは、その直後、大津波に襲われ、東海龍王の国は、津コケタのです。
平時子が、安徳天皇と、後代の弥生の末に、海の都に参るその国は、竜宮を指していたのではと考えます。
那曰ムスの竜宮は、再びムスぶのでしょうか。
それとも、それを受け継いだ国が、それを繰り返すのでしょうか。
写真は、大陸で織物をしていたであろう、歴史人名としてのウガヤフキアエズと縁する、海神の綿津見神社です。
古代におきましては、倭建命の霊的守護をした、弟橘比売命(乙姫)のように、綿を紡ぐ女性が、斎王を務めた時代が続きました。(宇土の向野田古墳などの投稿を参照してください)
芳山の麓の梅洞の神社ですが、竜宮の水晶(竜玉)を暗示します、キ国玉名の海岸沿いには、綿津見神社が並びます。
また、長崎のおくんち(龍命)祭りで、月の玉を追う龍が、祭りのハイライトですが、その月の玉を三爪で握り、顕幽神三界をみつめる龍の姿が、東海龍王の覚りと気づきを籠めたものだと伝わります。

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