吉田神道の三壇行事
- yamato-567
- 2020年9月29日
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古事記の上代は、天之御中主が何であるかを示すものです。
聖書が、世界中の民に支持された神伝と申せども、天之御中主が何かを、示しきれてはいないのです。
ただ、キリスト教の中でも敬遠される、ヨハネの見た幻の黙示録に、(影にとっての)、、、私は初めであり終わりであるという、天之御中主の、便宜上での表現がなされているだけです。
ところで、私には見る事ができない、後背から日が射していましても、私は、私の足から延びる影を確かめる事で、私に日が射している事、日を当てている存在が在る事、日が当たっている私が在る事に、気づきになると察します。
その延びる影は、ア行からワ行の磯辺(五十音)で、アワと固まり、言延び(誕生、淡路)いた(いたは八咫の事)します。
その影は黒いという事で、エジプトでは黒犬、日本では、八咫鳥と表現されるのです。
八咫烏の足が強調されますのは、影は足で繋がっているからですが、顕幽神三本足のうち、一本が挙がっていますのは、顕界には、息△▽があるためです。
すべてが挙がっている時、飛鳥という事で、仏教で表現しますと、仏塔の形△▽○△▽□でもあります、即身成仏 という事です。
それはまた、認識している影の、その後ろの正面とは誰かの気づきにあるという事です。
その誰かを、天之御中主と示してあります。
それはまた、神の光(日)が当たっている何かですので、日抱きと申します。
地名としましては、日田や飛騨がこれに当てはまると考えています。
そしてそれは、私たちが気づいております精神(蒼)に隠れていますので、蒼井という事です。
ヤマトタケルが、辞世の句として詠んだ、青垣籠もれるであり、古事記では、ヤマトタケルが、熊襲タケルの名を襲名し受け継ぐ事となりました、クマソタケルの地、人吉球磨盆地の青垣(盆地の青い山々)の事でもあります。
天津神の祝詞、国津神の祝詞は、一般的に解説されましても、蒼津神の祝詞は、合理的理解を超えた、妙見妙法の妙言ですので、その神道は、秘されてきたのです。
写真は、その復活(阿蘇)に挑戦なされました、極めて貴重な、吉田神道の三壇行事の宝物です。
写真は、国宝人吉青井阿蘇神社の、福川宮司様からお借りしています。

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