古代に蘇る日本<ヤマト>
- yamato-567
- 2020年6月10日
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アグアダ・フェニックス遺跡の発見が、なぜに文明の起源に迫るのでしょう。
延べ1000万人以上の労働力が必要だと推察される中、強制された痕跡がないとの事です。
まさに、古代人は、友と共に成す人(アダム)だったのです。
そして、研究チームに参加した茨城大学にも意味があります。 マヤの聖地セイバルでもお話しいたしましたが、セイバルは、海(セイ)とバル(日の神)を合わせた名です。 そのセイバルから日の初めを求めて、海を渡ったのが火の君で、常陸(日立、茨城)の民の祖先であるからです。 そのセイバルの民が、北中米に渡りましたのは、近年、フロリダで発見された、7000年前のミイラのDNAが、日本人特有のものであったという報告とも一致いたします。 ちょうど、7300年前~6300年前が、火の君(九州のセイバル)の地が、最も厳しい環境(火山灰降灰)で、太陽が長らく隠れていた時代でもありました。 いつも投稿にのぼるダイラの6000年前の舟着き場(岩戸山の麓)の山は、昨年の大河ドラマのオープニングで、金栗四三が走っていた山道ですが、そこはセイダと申し、その金栗の実家の玉名和水には、江田船山古墳があり、土地の名はセイバルです。 また、セイダの山の下、ダイラの前が、ダイダラボッチ(不動岩)で、聖地とされるセドナと同じです。 海から遠い地だとしましても、セの瀬、ナの那は、海の太陽の、セイバルという意味だと考えています。 少年の頃の私自身、海の中の太陽をすくいあげながら、漁をしていました。 芳山では、広大な迎賓館(池辺寺)跡から、友の字の土器も見つかっており、強制的でなかった文明が、奈良時代ぐらいまで、受け継がれていたのだと考えています。 カナン(ヨルダン川西岸)や長江(ナーガエ)やナイル(エジプト)にいた日本人も、同じセイバル(日那)の民であったと考えています。 ところで、日出ズル天子と日没す天子の本来の意味は、東西の太陽の子(兄弟)という事です。 私の考えではありますが、日が没すは、日が呉れるの勾呉を 意味すると考えています。 今でも球磨の阿蘇谷では、中国では、日本人と噂されてきた勾呉建国の太伯にあやかって、伯父の名は太忠(読みはタチヲ)です。 日の出(日本)と日の入(勾呉、クマ)のどちらが偉いという事ではありません。 また、ダムの語源は、極東アジアで使われ、熊本では今も使っているトモがドモと訛って、ダムになったと研究されています。 これは、稲作のための灌漑を、共同で造っていたからです。 また、熊本の西海岸の河内(カナチ)聖ヶ塔で息を引き取った父が申していた事でもありますが、今の英語の語源はカナン(フェニキア、幸霊)語で、日本(かな、カナ、葺き家、言吹き)語は、バベル(セイバル)の塔で失われた宇気比(神との会話、和霊)語という事になります。 フェニックス(火鳥)は、冬至の日の太陽です。 拝ヶ石巨石群の冬至の日は、阿蘇を抜けて、日光、そして茨城(日立)へと蘇り(フェニックス)の道を駆け抜けます。

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