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古代に日本へ来た人たちも、そのさらに祖先は、日本から出て行った人たち

  • yamato-567
  • 2020年9月25日
  • 読了時間: 2分

縄文時代の火山活動による危機に、世界へ旅立った人たちが、なぜ、同じ所に帰ってこれたのかは、中国から日本へ来る場合、芳三山(芳来)が目印として、中国側で伝えられていたからです。

そして、そのルートが、最も楽にたどり着ける航路でもありました。

坂口の実家のクブレとゲンゲツの畑は、まさに、日本の西海岸の、南北の潮流がぶつかる所です。

船から直接上陸できる所に、三韓屋敷、唐屋敷もありましたが、筑紫の外交の拠点でもあったと思います。

そのお宮で父も祖父も総代を勤めていましたので、自家の口伝だけでなく、世界の歴史が合流する、お宮の歴史も伝え聞いてきたわけです。

ただ、命の危険もある事は確かです。

家や畑の分散、離岸流や干満差の知識による脱出など、生き延びるために、あらゆる手を使ってきたのです。

その中で、最も有効であった手段は、結婚と、同じ教えがある共通の祖先だと伝える事です。

皆を婿や嫁に出したため、生まれた子を貰って、やっと繋がった時代もあったと聞きます。

それで、旧約聖書(ユダ王国→鰐洞)の時代の人も、新約聖書(太秦→辰韓)の時代の人も、皆の血が混ざってしまっています。

世界の歴史は、日本から昇り、日本へ沈みました。

この世界の危機の時、再び、日本から昇るのでしょうか。

プロフィール写真の背景は、遠い祖先が目指した、日没の太陽です。

太陽がある所、どこでも生きてゆけます。



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