古代から鉱石を祀ってきた証として、光る黒曜石(龍目)から幽身が立つ姿と、拝ヶ石巨石群の亀石に津留(青龍)が巻く姿が現れています。
- yamato-567
- 2020年9月12日
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古代の人名にも影響した軽、そのカルは、山から産出する鉱石などの総称です。 もちろん、メソポタミアのウトゥ(ユーフラテス)川が、銅の川の名でありますのも、カルに含まれますので、アブラハムのウルの地は、カルディアです。 ギザの三大ピラミッドは、狗フ(鳩富)、カフラー、メンカウラーですが、やはり、カル(カラ)です。 大和の大王の墓の馬門石を、熊本の宇土が産出するのですが、そのウトも、カル(カラ)です。 ところで、豊国一の宮であり、全国の八幡宮の総本社は、皆さんもご存知のように、宇佐八幡宮です。 宇佐八幡宮での神事は、香春神社と繋がります。 それは、香春神社が、元の豊国一の宮であったという事と、カワラ(河原)は、カラ族の諱であり、カルだからです。 また、香春神社と繋がる阿曾隈、川上(河上)神社は、熊襲タケルの本名であり、ヤマトタケルは、その川上(耶蘇、八十、邪馬土)タケルから、名を襲名し、日本(大和、倭)タケルとなられたわけですが、そのヤマトタケルの子孫が、香春神社に祀られているわけです。 香春三山で祀ると申しますは、こちらの芳三山も同じ熊襲(鳩庠羅)の祀り方ですので、エジプトのギザの三大ピラミッドと同じ太陽観測の仕掛けが、香春の三山にもあるはずです。 そして、息長の神(神功皇后も息長氏)は、おむすび山を示す息の形、△イクムスビですが、超古代から古代への流れで、長生き(不老長寿)となり、カル(鉱物)の一つである丹(流化水銀、日本のアカ)になりました。 それで、後世に仁丹と申すのでしょうが、実際は、魚貝類のタンパク質と油、橘などの柑橘類が、寿命を伸ばしたのでしょう。 現に、芳三山の河内町(現熊本市)の女性の平均寿命が、日本一だった事もあり、普通だった男性との違いが調査されましたが、女性は、一年を通し、夏の間に蜜柑の玉太りをよくするために間引きされた青い実を、焼酎漬けにしていたのです。 海人にとりまして、壊血病にならない薬でもあります。 その不老長寿の橘の薬が伝わりましたのは、中国では勾呉、半島では高句麗、伽羅諸国を統治してきた熊襲が、始皇帝の遥か昔に、先住民として、韓半島に住んでいたからです。 それで、聖徳太子が、日出ズル国の天子から日没する国の天子、という表現でありましたのは、日が暮(呉)れる国(勾呉)は、私たちの国ですよと暗示しているわけです。 しかしながら、その知が、一族が滅ぼされる一面だったと思われます。 蘇我入鹿も、三韓の調停をしていましたのは、元々祖先が、韓半島を統治していたからですが、誤解により、裏切り殺されたと考えています。 ところで、半島から日本へ渡ろうと、韓(カラ)の伽羅に集まっていた日系人は、多くが男性でしたので、先住民でありました、熊襲の女性(熊女)と結婚しました。 勾呉や、後に勾呉の遣民が建てた高句麗(倭五族共和国)は、元々が熊襲でしたので、結婚した皆が親戚となった事で、日本でも、狗奴が力を持つ事になったのだと思われます。 写真は、豊国の香春の秘密を伝承した豊香(祖母の姉)が住んでおりましたそばの、天水湖です。 ここから登りますと、九州四県が見渡せます天水八久保の、上皇皇后両陛下の碑があり、さらに登った所が、河内芳野拝ヶ石巨石群です。 天水湖は、天水町那古井と、河内町白浜の境にあります。 歴代の天皇が、天水をお飲みになられた碑が建ってます。 隣町には、和冦(海賊)の本拠地がありました、竹取の龍神社があります。 古代の宇土宮の冲(海)宮であったと考えています。 香狗耶姫が、東海の龍の棲む島へ、龍目(大目)をとりに行かせましたが、それは、元々、世界を最も広く安寧に統治していました、東海龍王の雨宮の斎石です。 実家に伝わります竹取りの籠目→龍目は、イースター島の古いモアイの黒目と同じ黒曜石です。 そして、裏山は古今の歌の修業の場の岩戸山(その先が拝ヶ石)であり、古今集にあります、皆さんもご存じの、高砂や、の歌は、九州から、今の神戸に渡った話ですが、それは、近津から近江へ渡ったのだと考えています。 近江に、息長氏の足跡があるからです。 また、石舞台(台余)は、この世界で生きる還境の能力である荒霊、すなわち△イクムスビの息長であり、姫姓である句呉が動いた、天草の姫戸の矢岳巨石群、芳山河内岩戸の拝ヶ石巨石群、阿蘇小国の押戸石、そして大分の国東へと続くラインには、△イクムスビ、石舞台、白神を意味するものが見られます。 写真は、一部お借りしています。









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