双脚輸状紋
- yamato-567
- 2020年11月29日
- 読了時間: 2分
震度7と震度7超の地震で、熊本では、多くの墓地が倒壊いたしました。
私は、花屋を家業としておりますので、墓参りのお客様から、まだ倒れたままなどの情報をいただきます。
それは、古墳という古代の墓も例外ではありません。
崩れたという情報を耳にする度、愕然といたします。
熊本の古墳が、古墳に関心があられない全国の方々にも、意味がありますのは、お住まいの近くの古墳の中の幾何学紋が、熊本の、どこかの古墳の幾何学紋と一致するという事です。
それは熊本が、大陸から日本を目指す時に、内海への流れに誘導され、ちょうど潮がぶつかり、舟が打ち上げられる所に当たるからです。
そのぶつかる所の、古代の中心が、芳山の西の麓、河内のゲンゲツ、クブレの畑の真下の海です。
なぜ誰も知らない事を申せるのかとよく聞かれますが、遠い祖先から、その畑と海で生まれ育ったからでもあります。
今でも、外国のものが打ち上げられます。
その潮目、離岸流などを生かし、数十メートル先には、中世には、今で申せば大使館のような、三韓屋敷、唐屋敷がありました。
また、大量の塩分が放出されますので、塩に影響を受けやすい霊感体質の方は大変かも知れませんが、塩のミネラルが吸収され、美味しい蜜柑(古代は橘)が採れるところでもあります。
古代の神紋にも、橘があります。
それで、上陸した方々は、それぞれ部族ごとに固まりになられましたので、大陸の北か、韓半島か、南かなど、ルーツ(逆芳来)の糸口がつかめると考えています。
地震で遺跡が壊れるなどの現状は、今の日本、世界にとりまして、特別なお知らせではないかと察しまして、毎日のように、芳野芳三山周辺の遺跡を投稿しておりますが、本日は、福岡県や和歌山県の方とご縁の古填です。
双脚輪状紋が描かれています、芳三山の北の麓の、釜尾古填(釜尾天神)です。
熊本市民憩いの場、小萩園と共に、参られた方もおられると思います。
写真は、熊本地震で崩れる前のものをお借りしています。
最初の写真は、クブレ、ゲンゲツの畑の海です。

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