南総里見八犬伝の元の話は、イスラエルと成ったヤコブの相撲(相良、角力)の熊襲の口伝。
- yamato-567
- 2020年9月12日
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浅間は阿蘇が訛ったものですが、古代、熊本から富士へ渡って行った人たちの伝承の一つが、後世に、滝沢馬琴により、南総里見八犬伝となりました。 逆に富士、静岡から、中世に熊本球磨へ来た相良の、相良村出身の祖母は富士江で、私の母は静子です。 ところで、相良村が、セントバレンタイン村と姉妹村という縁も不思議ですが、大神の子である人(太郎)が、太から出た(太→犬)犬神に仕えるようになった話は、同じ熊本で、古代のキリスト教、天下太平を伝えた父方(実家の畑の名は弓月)の人たちの話と一致いたします。 海(太郎)は、波(犬)がなくとも存在いたしますが、波(犬)は、海(太郎)がなければ存在いたしません。 ところが、オーナーの子の太郎が、その会社の社員の犬神(天使)に仕えて、契約社員として契約を段階的(旧→新→成)に結び、本末転倒からの道のりとなったという事です。 ところで、ヤコブが、天使と相撲を取りましたのも、相撲が、立場(場所)をひっくり返す意味の角力だからです。 写真は、南総里見八犬伝での映画のポスター(薬師丸ひろ子さん)です。 富士の浅間神社に奉られた木花咲耶姫は、球磨の南の阿多の人ですが、肥州高野山の聖観音は、木花咲耶姫の化身とされ、本末転倒を終末するため、映画のように弓を取ります。 写真のモーセの石板と照応するものは、山都町の幣立神宮のもの、マナセの壺と照応するものは、球磨の本目遺跡のもの(同じあさぎり町には金鍍鏡も出土)、アロンの杖と照応するものは、霧島の天の逆鉾です。 バラバラの地のようですが、古代には、同じ狗奴国(邪馬土)でした。 そして、神伝にありますように、オウス(日本タケル)は、熊襲タケル(邪馬土タケル)から名を襲名するのです。 坂口が、これまでの投稿で解説して参りましたアークの秘密も、その時、伝承されたものと思われます。 ところが、神伝では、熊襲は悪者として、何度も滅ぼされた事になっています。 その多くは、白村江での日本敗戦の時、中国から千人以上の学者が来て、歴史を改ざんしたのです。 中国でも、同じように焚書による改ざんは行われてきましたが、古代中国で王朝を築いた、日系人の痕跡をなくさなければ、再び取り返されるおそれがあったためと考えています。 実家の天下太平の掛け軸は、近代のものです。 球磨(クマ)の相良(サガラ)の叔母の家の雉馬のデザインは、六芒星を身に付けて、神輿(アーク)に担がれるクマラにそっくりです。 古代からカッパが祀らているサガラ村では、カッパサミットが開かれています。 写真は、お借りしています。
























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