十島とボゼどん
- yamato-567
- 2021年3月25日
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これまでの文明は、行き着く所、滅びて参りました。 ところで、球磨には、十島を祀る神社があります。 同じ九州で、トカラ列島十島村のボゼ祭りは、祖霊の迎えと送りをする、お盆のような祭りではありますが、遠い昔滅びたボゼどん(海神)の、教訓として伝える祭りだと感じます。 かって、大西洋にいた海神は、名も海のシー→セイ(日本人はSが訛る、シェンシェイ→先生)の、セイバルを都といたしました。 メキシコ湾岸近くにあったこの島を、アトランティス(ポセイドーンの島、くまモンも本来はくまモーン)とおっしゃるのかも知れませんが、そのマヤの首都セイバルが、海の名なのに内陸に移動しましたのは、やはり、津波の影響だと思われます。 伽羅の邪馬(マヤのラカンドンと逆名)の熊本玉名(多婆那)セイバルの、国宝の江田船山古墳の石棺は、典型的な肥後型(船家型)です。 熊本から吉備や大和へ、重い巨石を運んだ船は、さらに古代は、ノアの方舟のように、動植物を含む家財一式を船に積んでいたと思われます。 それで、ごく一部の人たちは、津波から生き延びたのです。 話は戻りますが、テラ(広場)に集まったボゼどんが、最後に割る(捨て去る)仮面は、決して取って置く事ができないものの象徴です。 その気づきを、ボゼどんの口の一つ目(言霊)、蘇りの葉根が物語っています。 この気づきを今の人類に弘法する事こそが、滅びるはずの文明を革命する、日本(ヤマト)の使命という事です。 球磨のサガラの柳瀬の、十島菅原神社と、ボゼどんの写真はお借りしています。

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