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yamato-567

北極星アンが輝く元、祭祀をしていた天下人、アンゴルアモイの大王と、岩戸山の日月を明かす目の霊厳洞

私は、子供の頃から格好には無頓着なので、時折、ちゃんとしなさいと母に叱られます。

そういう事で、私に今世では初めてお会いなさるお方は、驚かれるのかも知れません。

ところで、世間には、自他問わず、救世主だと名乗るお方がごまんとおいでです。

今のところ、その全てが偽メシヤです。

なぜなら、メシヤとは、松の油を頭にかけられるものが象徴いたしますように、燃えて現象を現す火ではなく、その火を可能にしている火の元(日本、バアル)に気づいているものです。

夢見の後に目覚めた時に、夢の中の自分と分けたものを含めて、全ての登場人物と背景(火)は偽りだった、夢(火)を可能にしていた熊手(ヨシテ)、在るのは私一人だと目が覚める時の気づきの在るが油(アルラカタブラの片仮名から知る真名)です。

気づいているかいないかの違いは、朝、目が覚めたか覚めていないかの違いでしかなく、その気づきを持って、私はメシヤと威張る事は、私は早く起きたと威張るようなもので、後には、逆に恥ずかしい事になります。

ですから、メシヤとして、自らを自分と分けたもの(偶像)を拝ませておいでの方々は、自らメシヤでない事を、ご苦労な事に、わざわざ証しておいでという事です。

坂口も、忘れられていた祭祀を、皆さま方にご紹介したりいたしまして、自慢話をしているように映るかも知れませんが、それは本意ではありません。

皆さま方の、忘れものを思い出しになる、きっかけになれればと思います。

ところで、世界で唯一、私を叱ってくれる母との出会いは、不思議なものでした。

古の歌人の、山部赤人の母が、子宝に恵まれるようにと祈っていました、岩戸山の霊巌洞の斜め上の石が縁(耳)です。

その石が引導石となって、そこに生えた山桃の木に宿っていました。

毎月、岩戸山(黙示録では四つの邪馬、四神龍、四面馬頭観音)の命日の18日に、母は参っておりました。

その納めの観音の12月18日に、私は産まれて参りました。

12月18日は、夜狄けの観音とも申しまして、冬至(朱鶏)までの三日間(三度)は、イエスが弟子に申しましたように、一番鳥(冬至の日)が鳴く(明ける)までは、私(キリスト、真理)を知らないと言うだろうと、弟子のペテロに申しましたように、まずの取りかかりは、私は何も知らないという無知の知からです。

これまで執着なされた荷を降ろす作業でもあります。

そして、冬至の中日を挟みまして、12月24日までの7日間が、冬至の蘇りの期間です。

日本人は、今でも春秋の彼岸、夏至も含めて、七日間を大事にいたしますね。

これは、トンカラリンの七つの階段、メソポタミアのジッグラトの七つの階段、大洪水明けを祝う京の祇園祭の七の月など、七は、蘇りの挑戦の数だからです。

それで、1999の本末転倒の誤解した視点をひっくり返す、666のオール(供え物)、すなわち、60の天神アンが止まり輝く(天凝)時、アンゴルアモイの大王と申しますのは、アモイ(天下)人である事を、あなた様がお気づきになられるという話です。

写真は、坂口が宿った山桃の木の近くの、宮本武蔵の修行場の碑です。

宮本武蔵や、大和歌の檜垣嫗、清原元輔(清少納言の父)が最後の修行の地と定めた場所でもあります。

天下神社は、球磨では、アモイとかアモリとかと発声いたします。

球磨の天子宮は、幼少期に迷い込んだお宮です。



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赤子

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