冬至の道を歩んだ祖先と三位一体。
- yamato-567
- 2020年5月29日
- 読了時間: 2分
更新日:2020年6月7日
どうやら日本人の祖は古代より世界中をの●●●を築いていた・・・
熊本の菊池をモチーフとした、元祖天才バカボンのパパの歌の、西から昇ったお日さまが東へ沈むが、コレホントでありますのは、あくまでも歴史上の話です。
西岸カナンから、日本(迦那地)まで、冬至(一番鳥、火鳥)の道を歩みましたのは、イエスの子孫でした。
その冬至の太陽の道は、西岸の熊本の拝ヶ石巨石群から、日光東照宮、東岸の常陸の国と続きます。
徳川家康が、藤原と申さず、南家藤原と申し名乗りましたのは、その西の端の、拝ヶ石巨石群、岩戸山から下った烏土の宮が、祖先の地だと突き止めましたのが、藤原南家当主、藤原保則だったからです。 南家藤原は、カナン→カナチの血統という事です。 さらには、熊本から岡山へ出向き、死んだ人を生き返らせた火の君の祖先の分かれが、常陸の国、藤原氏の祖先の地を築いたのです。 また、古代の火の君の足跡に習って、藤原保則は、岡山の大飢饉と疫病を鎮めただけでなく、武力を使わずに、日本各地の反乱を収めたのですから、徳川家康が、誇りとするはずです。 これまでも、鳴龍や三猿で、意味を解説して参りましたが、日光東照宮は、藤肥州(熊本)に習っています。 ところで、アマビエで話題となりました、地方の熊本の海の話が、大江戸で信じられ騒がれましたのは、その南家藤原が鹿島の祖神が現れたとした場所と、同じ場所であったからです。 実家の明治御帝恩賜の火鳥の鶏冠は、拝ヶ石巨石群がある芳三山も示しますが、オリオン、ギザのピラミッドも示しています。 拝ヶ石巨石群とギザの三大ピラミッドが同じ太陽観測方法であるばかりか、トンカラリンの地下構造は、同じ布石工法というだけでなく、玄室や通路の寸法まで同じという驚きです。 ところで、一番鳥が鳴くまでに、あなたは三度、私(真理)を知らないと言うだろうというイエスの言葉は、今日では、ペテロの不信仰と誤解されていますが、復活する前の、無知を知る道、復活の前提条件という事です。 また、三位も誤解されていますが、実際は、実在の神、実在の私、現れの私の三津(1月11日の鏡降ろし、おむすびころりん、ころコロリン)という事です。 ギリシャ神話では、目がみえなくなったオリオンは、東国の光で目を開きます。 はたして、目を開く事ができるのでしょうか。 写真は、生まれながらに三ツ星の傷を負ってきた長男が贈ってくれた、鹿島神宮のお守りです。
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