内~雛型宇宙の仕組み
- yamato-567
- 2020年11月12日
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日本人には、内田さんや内山さん、中内さん、大内さん、河内さんのように、宇治や宇佐などのように内が訛った読みも含めて、内に縁する名の方が多いと思います。
内の字には、門を、タカミムスビ(霊)とカミムスビ(令)の二つに分けているのが人だという、宇土(宇宙)の仕組みが現れています。
ところで、小天を統治した武内宿禰の本名は、内です。
頭の武は、名としてよく使われるタケルと同じように尊称です。
その証に、小天を登った河内の、芳野の拝ヶ石巨石群のスメル人の土地(坂口の祖先はスワラ(スハラ))には、内田さんや内野さんが多く住んでいらっしゃいます。
また、高原や、神武天皇の生誕の狭野を奉じた島津家久、関ヶ原での島津豊久などの、鹿児島の島津藩の教えを形成しました、球磨のあさぎり町深田の内山は、母の実家も含めて、わずかな民家しかありませんが、一日に千首の歌を詠むという、千首の局の故郷です。
内ヤマトという秘密は、古代には海を渡っていた、熊襲の教えの暗示です。
武内宿禰が紀が生誕だという伝承も、例えば、紀角も、半島を行き来していましたが、その紀は、木(林)であり、倭の委です。
おかしな事に、熊襲の地から展開する記紀ですが、熊襲も執拗に滅され、内宿禰に、忍熊皇子や、かご坂皇子が滅ぼされています。
ヤマトタケルにいたっては、殺した熊襲(ヤマト)タケルから、名を襲名するとなっているのです。
天皇の記述の欠代も含めまして、いろいろと辻褄が合わない所、消し忘れもありますが、何ものか(白村江の世界大戦で日本が敗れた後の唐の役人)に、日本の歴史は封印されたのです。
なぜ彼らが、熊襲にターゲットを絞ったのかは、熊襲が中国を統治していた事が後代にバレますと、土地も国も、取り返される口実を与えてしまうからです。
それで、中国自身も、自らの国の、大事な古代の歴史を焚書するという、暴挙に出てきました。
話は戻りますが、内宿禰などから伝わるという、竹内文書のように、なぜ、古代地球世界の話があるのかは、佐賀の武雄の御船山などを拠点としてはいましたが、その祖先は、儀来河内(ニライカナイ、比日仁育→一字で熊)を拠点として、世界の海を渡っていたからです。
江戸初期から造園されました熊本の水前寺成趣園は、日本の形を示し、それは世界の雛形であり、宇宙の雛形であるという、竹内文書を裏付けるものですが、竹内文書にはない、水前寺成趣園と日本の間には、天草という雛形があります。
さらには、裏島と海へ消えた儀内河内(那日ムス比日仁育ウガヤ)は、南極大陸と照応しているという話は、竹内文書にはありません。
北海道ゥは北米大陸ゥ、本州ゥはユーラシア大陸ゥ、四国ゥは豪州ゥ、九州ゥはアフリカ大陸ゥ、台湾島ゥは南米大陸ゥ、那日ムスゥは南極大陸ゥと照応しているという事です。
ウ声でムスばれる島生みの、日本の大八島は、地球そのものという事です。
地図などの写真は、お借りしています。
地球世界を最も広く統治した、中国伝説の東海龍王の黒曜石は、実家に伝わるものです。
竹取物語(籠目→龍目)の、東海の龍の棲む島の伝説でもあります。

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