八咫の鏡の扉を開ける時
- yamato-567
- 2020年9月22日
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先の大戦への憎しみから、その攻撃の矛先を皇室に向けられておられる方もおられます。
そういうご批判に対して、陛下のお言葉、お言葉に隠された響き(言霊)から、お恨み言を、お聞きした事はございません。
たとえ戦争に対してであろうと、憎しみこそが、その次の戦争のエネルギー源となるのです。
平和のためという旗を掲げながら、そういう憎しみを煽り、票にしておられる政治家の方々を応援なされますのは、自らに、平和を見失っておいでだと察するのです。 日本(ヤマト)のグループでも、平和の旗を掲げるうえで、憎しみがあられない、陛下のお言葉に習わなければなりません。 ところで、先の大戦では、多くの国民の方々が、鬼畜米英と、憎しみを祈っておいででした。 ですから、私たちは、政治家が掲げる甘い理想よりも、自らの内に、何を祈っておいでなのかを見極める力をつけねばなりません。 その祈りとは、あなた様ご自身の言霊(霊)です。 ちょうど、水の中にある空気のように、この世界(令)を生かしています。 その言霊が、自らを鏡の体として、誰彼の差別や依怙贔屓なし(666の一人子)に映す時、その霊台(額田、ぬかた)そのものが、八咫の鏡である事に気づくのです。 写真は、熊本のヤマト町に至る、日本で最も古い石橋が連なる一つの、ミサトの霊台橋(霊鏡→八咫の鏡)です。 写真は、お借りしています。













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