伊勢と熊襲の川上、そしてヤマトの謎
- yamato-567
- 2020年10月15日
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巨人軍の川上哲治元監督は、巨人の星のアニメでも、その人となりが描かれています。
私の個人的なイメージは、実践哲学者だという事です。
ピラミッド、メソポタミアの横穴墓、そして、ピラミッドの玄室とほぼ同じ寸法の、玉名の卑弥呼の鬼道のトンカラリンと、横穴墓は日本人を示すものです。
川上監督は、その代表的な熊襲の横穴墓の、球磨の大村(人吉)の出身です。
ところで、これまでもクマソタケルと、古事記の秘密を投稿して参りましたが、熊襲タケルは、二人いまして、それが邪馬土タケルと川上タケルで、ややこしいですけれど、古事記に出てくる景行天皇の子オウスである大和タケルは、熊襲タケルから名を襲名したわけですが、その熊襲は、邪馬土(八磨土)タケルであったと考えます。
古事記では、大和タケルが女装して、熊襲タケルを騙し撃ちして殺している事になっています。
殺す相手の名を襲名するという話もおかしいのですが、圧倒的軍事力がありながら、命懸けの騙し撃ちに勝負をかけるのは、おかしな話です。
オウスの親である景行天皇が、忍であり草を放っている熊襲に対して、凱旋パレードをしておられるのは、これまたおかしな話です。
古事記での女装の真実は、炊き出し(菊池山鹿から球磨への食料援助)です。
球磨の地形は、抜け道も険しい、周囲を山で囲まれた山深い盆地(青垣籠れる)であり、食料難にあっても、簡単に食料を融通する事ができなかったから、皇軍の力で、わざわざ行かれたのです。
それでは、なぜに、古事記は、熊襲征伐と書き換えられたのでしょう。
景や聖の名の景教由来の名の天皇、聖徳太子などの、暗殺説にも繋がるのですが、青垣籠れる大和の辞世の句を残した、ヤマトタケルのククリ(菊理、コマ)が問題であったのです。
古代では、コはクと発音されますので、コマは球磨(熊)です。
球磨(熊襲神日族)は、超古代、縄文の長きに渡って、韓半島から沖縄までを統治していました。
竹島不当占拠以前の超古代に、密林に覆われ、人が棲むに厳しかった韓半島を、人が住める里山にしたのは、日本人です。
伝説の王、檀君(ダン一族)が熊女から生まれたという作り話も、今の半島人の祖先などでなく、本物は、熊襲が先住民として、韓半島にいた歴史に繋がります。
また、真那井神社、阿蘇の海の籠神社、封印された古の伊勢の宮とも繋がり、それは建年不明、縄文ともいわれる、阿蘇の山を鎮める幣立神宮や、芳山の麓の宇土の宮も同じです。
今、あらゆる問題が世界的規模となりました時、世界を渡ってきた、日本(豊村(豊野村)の旭日を見て日の本と名付けられたのは景行天皇ですが、豊はユタの祭司)の、旭日、巨石人(斎王)の復活の時です。

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