令霊の和の羽鳥(火鳥)
- yamato-567
- 2020年8月11日
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水に空気がは入りますと、その水が生命を生かす水となりますように、令宇宙の中の私が発する令の言葉は、私の中の霊宇宙の言上げ(発声)されない、岩戸(言戸)で留まる想いのはたらきではありますが、言霊(意思)により、生きた(命令)言葉となります。
先人は、霊によって生かされている言葉だから、言霊とおっしゃったと察します。
そこで、ウ声一つを取り上げてみますと、言葉にならない想いの霊でのウという霊が、走るゥ、飛ぶゥ、産むゥという行動を後押ししているのではないかという疑問へ、自ら挑戦してみるのです。
実際は、歩く歩く歩くと想いながら歩いておいでの方はおられないと思いますが、意思という霊を生む意志が、例えば、寝ると令を出しているのに歩くのは困難になられるでしょう。
至極当たり前ですが、肉体を動かすには、内なる意志が大事という事です。
ところが、心の臓は意志がなくとも動きます。
反射神経は、鳥坂(とっさ)に身を守ります。
このはたらきを、先人は、生かされているという、受動的な表現をなされておいでだと察しますが、時々申しております、ウ声で締(占)められるという私の表現も同じです。
それではなぜ、生かされているという表現で留まらず、ウ声で締(抱きし)められるという表現をいたしますのは、ちょうど、幼子が乗る車を、後ろから押したり止めたりするように、生かすはたらきが、後押ししているからです。
字で表現いたしますと、歩くゥとなります。
この時、日本語だけは、全ての動詞が元々ウの発声で終わり(締められ)、生かされる後押しがスムーズになるという事です。
それではなぜ、生かすはたらきがウ声かという根本的問題の壁に突き当たりますが、鈴宇(すぅずぅう、鈴は金烏令)と言延びて誕生した宇宙(う中主う)は、どこまで行っても、うの延びの波形なのです。
その)))の波羅が、う声と表現されるものという事です。
また、意志の発動の祈りを、意乗りと表現いたしますのは、このう声(生かされるはたらき)の波乗りという事です。
今宵は、一文では伝えられない困難な理解に挑戦いたしましたが、年間を通してお読みいただいている友には、気づきの補助輪にはなったかと思います。
最後に、私たち日本人が、なぜ鳥人族かは、意思(霊)から動作(令)の霊令の二つの羽で羽ばたくからです。
更には、自らの羽ばたきで起きた羽声も、生かされる生声(鳥坂の反射)に乗る飛鳥という事です。
写真は、三十年以上前、私の話も聞いた事もない天草牛深の友人が、私の姿だとして贈ってくれた鳥の絵です。
その後、民族運動を手伝ってくれました。

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