二つの視点(二天)
- yamato-567
- 2020年6月14日
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河内小学校歌の振出しの、ああ黎明の雲分けては、高真我原に宇宙開闢が御輿来ます時に、すぅずぅう(鈴宇)の大霊は、す(私の中の宇宙、ちゅ烏ちゅ、タカミムスビ)と、う(宇宙の中の私、烏ちゅ烏、カミムスビ)の二つの宇宙の視点面に分ける事を意味していますが、参拝の時に振る、神社の鈴の付いた本坪は、宇宙が、分け捻れている事を証します。
その二つの視点であるがゆえに、はたらきの神も、二つの言霊として、口から突いて出て参ります。 私の中の宇宙では、神のはたらきを我事として捉え、ヤタノカガカミ(チハヤブル)として、神の発声も、ガミとして濁ります。(濁音はいずれご説明いたします) 宇宙の中の私では、他人事として捉え、カタカムナカミ(チハヤフル)として、神の発声はカミと鳴り響きます。(古今集は自然の情景を詠んだ歌としてチハヤフルですが、実は、フルとブル(在原業平が我が皇位継承事として読んだ万葉集)の括りの歌です) これも、真我の正体が、神社の本殿にある鏡(迦我美)の本性だからです。 写真は、日本の名の由来となった、烏土(宇土)の御輿来海岸です。

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