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世界史が日本史である理由が、天皇の歴史が不明となった理由

  • yamato-567
  • 2020年10月30日
  • 読了時間: 2分

マヤの末裔といわれるラカンドンは、昔の芳山(カラ)と同じように、石臼を嫁入り道具とし、ククルカンといわれる大蛇の日の影で、お彼岸(七日ククリ)を祝ってきました。

ところで、昨年の大河ドラマの韋駄天でのオープニングでは、ギリギリ、坂口の実家の畑は映っていませんでしたが、金栗四三が走っていた所は、セイダという地名でした。

セイとは海(シー)という事です。

金栗四三の故郷は、玉名の和水で、トンカラリンや江田船山古墳があるところです。

その和水(ナゴミ)のセイバルという地名と同じ名なのが、マヤの都セイバルという事です。

セイバルとは、海火であり、宇土の海(不知火)の相撲の型でもありますが、今でも宇土には海(水)に鳥井(火)がありますが、要するに、鳥井(火)と水の洗礼、太陽(菊)の門と禊ぎ池という事です。

そして、不明であります第二代綏靖天皇は、阿蘇十二宮の金凝神で、その末裔が、金栗四三という事です。

金は迦那ですが、金栗とは、不動明王が持つ金具利の剣の呼び名です。

その不動尊信仰に隠れて日本へ渡ってきたのが、イエス(五十鈴、磯切)の子孫の綏請天皇です。

不動尊信仰の元のチベット(トバン)産の翡翠が、宇土では、女王の墓(向野田)で出土していますが、その石が馬門石で、宇土から運ばれた大和の大王の墓石でもあります。

日本建国時と時代が合いませんのは、イザヤの時代の十二支族(旧約)と、イエスの子孫の太秦(真の新約)の十二単(服部織)の時代の歴史が混在したためです。

されど、聖書の黙示録での預言は、144000の神民ですから、大和桜井の三輪山(OOO)で、12支族×12単の三輪→144000で当たっているわけです。

聖書の預言のその後の千年王国は、まさに京都になります。

さらには、磯部の元伊勢が阿蘇の海でありますのは、宇土(不知火)だからです。



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