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yamato-567

世界の古代文明は、なぜ、日本(芳山)を目指したのか

始皇帝もイザヤも、東の死の海の果ての島を示しますが、実は、ウルの王も、ファラオも、その不老長寿の島(芳来島)を目指していました。

しかしながら、誤解がありましたのは、津丹仮面のように、死してからの挑戦だと勘違いがありました。

ところで、浦島太郎は、玉手箱(アーク)を空けて、白髪となりますが、それは、実在が、煙りのように捉えられないものである事を知った、額田(眉間)の目がひらいた、白毫(白神の気づき)という事です。

それはまた、北極星のように、回る(表現される)天(アン)無き何かです。

アヌンナキ(十六菊花紋)は、宇宙人などではなくて、この表現できない何かを、天体と神々によって表現しようとした試みです。

目で捉えられるものが非実在(末)で、目では捉えられない何かこそが実在(本)という、本末転倒(末法)の終末に挑戦する示しとして、日本人は、目に頼らない鯨面の入れ墨をしていたのですね。

また、捉えられる仮面(文字では片仮名)は、日本の古い祭りでは割られます。

そして、捉えられない真名こそが真実という事です。

アークは空きましたでしょうか。

この気づきを天の岩戸開きと申し、眉間をアク間(666の不動、北極星6オール)と申します。

いつも載せています鯨面の朱鶏は、エデンの園を守るケルビムであり、それは、日本では御輿で、ユダヤではアーク(玉手箱)の事です。



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赤子

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