不明となった古代日本史と、古今伝授が秘伝となったわけ
- yamato-567
- 2021年2月28日
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有明山を奉ずる安曇野の元は、福岡の志賀ノ島です。 そのさらに元は有明海(筑紫)です。 そこは、古代に日本最大級の湿地帯(茂賀ノ浦)があり、その土地の条件を活用した稲作と、海運と繋がっていたのです。 鬼滅の刃の竈門山も、その重要な水門であり、今は熊本から福岡に出るには佐賀長崎ルートでありますが、古代には、直接、玄海に出て、半島に渡っていたようです。 その時の渡し船を担当した安曇(大山津見彦)が、渡す安曇で綿津見という事です。 坂口の祖先も安曇の船に乗っていたようです。 なぜなら、熊本の岩戸山こそ、安曇の故郷だからです。 福岡の岩戸山は、後世の分家の宮でした。 熊本の有明海沿岸は、地図にも出ない、名が変えられた綿津見神社が多い地域です。 それには、政治的配慮もあったのでしょう。 狗奴(国の発声の元)の中の倭奴は外交を、奴は海運を、そして烏奴は、海神の祀りを担っていたようです。 その多くが、海の上に建つ神社の原形でした。 坂口のプロフィール写真は海上ですが、烏土の宮(横は今は龍神社→昔の龍宮)があった場所です。 半島にも祭祀の場所は洞の名が付きますが、この鰐洞と同じ地区の、綿津見神社の地名は梅洞です。 元々韓半島と九州を住まいとする先住民でした。 後世には、ワンピースの作者の尾田さんの故郷の祇園山が家族を住まわせる所で、龍宮は、そこから海に出て、東アジアの海を制した海賊の出城でもありました。 それも祖先の海運の技術によるものでした。 ノアの方舟のような船が、宇土(烏奴、金烏、カナサギ(インディアンが待っていた天の川を渡す鳥、カナガラス)→迦那咲→金崎)の巨石を吉備や大和まで運んでいたのです。 古墳も、舟家型は肥後型です。 その船に神官が乗っていたために、瀬戸内海沿岸に古神道が伝わりました。 有名な高砂やの歌です。 火の君が岡山で人を生き返らせた逸話は、日本でも最古級の古伝の、播磨風土記にも記されていて、その場所名を継としたとあります。 玉名の坂口の祖母が継乙女の名なのは、豊玉の龍宮の祭祀を受け継いでいたからです。 その龍の玉を坂口の祖父が代々持っていたため、夫婦となりました。 その姉の豊香は、古の豊国一の宮の香春三山の古伝を伝承していました。 古代に、ーの宮が宇佐(烏佐、烏 土よりも上位の意味)神宮に変わりましたのは、筑紫の君が、福岡の岩戸山から逃れたためです。 それと同時に、それまで筑紫の時間が日本の時刻だったわけですが、都に変えられたのです。 元号も、筑紫の王朝の元号を当てはめようとしたために、それまでの歴史は封印され、不明な日本史が生まれたわけです。 それで、熊本の岩戸山に来た都の使いの方たちは、日本の歴史を歌に秘めて、持ち帰りになられたのです。 長々となりましたが、なぜに古今伝授が、他言してはならない秘伝であったのかと、今に至る、御所(皇室)伝授と成ったわけを申しあげました。

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