一人子の大、ひとりぼっちのダイダラボッチ(不動岩)
- yamato-567
- 2020年8月14日
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熊襲(邪馬土)タケルの名を襲名した倭タケルを父とされる、仲哀天皇が、架空の人物ではないかとされる事そのものが、歴史隠蔽の証です。
歴史的には、最も資料として残るべき天皇家の資料が、成否もままならないのは、おかしな事です。
大伴氏が、仲哀天皇の後裔の倭彦王を匿いましたのは、熊襲タケルから倭タケルへの襲名、そして、熊襲の名を持つ忍熊皇子、かご坂皇子の血を絶やさないように、守ろうとしましたのは、大伴氏自身が、忍日の子孫だからです。
悲しいのは、武内宿禰も、忍男影女の子孫だという事です。
忍日とは、タカミムスビ、高木の神です。
高は高貴、木はキを示し、高の句麗(くくり)である高句麗(コマ、クマ、根の国)でもあります。
その元は周(姫、女→一くくり、臣→忍火)であり、メソポタミア伝説のキ国です。
また、熊津の都の百済の百は句であり、百済来(木)は、求麻(球磨)でもあります。
済はナラである那日ですが、奈日と表記されるようになりましたのは、日の出、日の入のその刹那を観て、映像の始め(芒目)であり終わり(禾〆)にある何かが、大(一人子、お盆の皿、河童の頭)を示しているからです。
おまけですが、福岡の志賀の島は、敷島であり、忍鹿(香)児(句呉、籠)の島であり、金印を手引きした、有明海を故郷とした安曇氏は、卑弥呼ではなく、同じ元の男王の、狗奴の王を手引きしたのだと考えています。
それは、申し替えますと、御火(忍日、大文字、帯)を示めるタラシヒコの仲哀天皇は、狗奴の王の子孫であったという事です。
イエスが申した一人子、仏性を示しますナラ(奈日、済)の、京都五山の大文字の送り火の写真、中国でも、最も高貴なものしか持つ事が許されなかった、球磨郡あさぎり町の、才園古墳の金鍍鏡の写真は、お借りしています。

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