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ワクドとソロモンの峰

  • yamato-567
  • 2020年9月1日
  • 読了時間: 2分

黄河文明やエジプト文明が興こる以前の遥かな昔、宇土の曾畑の土器は、韓半島から沖縄までも広がっていました。

ただの文化圏ではなく、技術がいる広大な海を渡っていたのですから、いつも載せています丸木船を削った石器や、航海に必要な星座の巨石だけではなく、緩やかな国家形成があったのではないかと考えています。

偽書とされる契丹古伝には、封印された超古代の東アジアの歴史として、鳥人族(熊襲)が記されていますが、後代の王も、日本の痕跡を断つために、土の中までは、焚書できませんでした。

また、宇土曾畑では、農耕が行なわれていなかったとされる縄文時代、瓢箪などが出土しています。

時代は、後世になりますが、宇土から芳山を超えて阿蘇に至る手前の、大津ワクド遺跡では、2600年前の土器から、米粒の圧型がみつかっています。

天草のものは、これより倍近く古いのですが、注目すべきは、広大な農地という事です。

水稲ではなく、畑作ではありますが、日本建国の時期に重なり、注目されます。

そのワクド遺跡と関連があると考えられます、合志の二子山石器製作遺跡は、ワクド遺跡よりも千年も古く、この時代のものでは、唯一、国指定になっています。

半径15Kmから20Kmの広大な範囲で、二子山製作の農耕用の石斧がみつかっており、石斧を集中生産する場所という分業を持った小国家が、熊本県中北部に存在していたと考えられます。

ところが、指定している国が、3500年前に、集団的農耕が行なわれていた事などなかったとして、歴史教育に取り入れていない矛盾があります。

子供たちが興味を持ち、私たちの祖先、日本の国に誇りを持つ事のできる歴史教育が、意図的になされていないのです。

写真は、二子山石器製作遺跡です。

それと関連があると思われる、菊池旭志のワクド石です。

手洗石など、神社神道の原形が見られます。

地元では、ソロモン智者の峰と伝えられています。



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