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トモとアダム(成す人)とライヱデン(神成)

  • yamato-567
  • 2020年10月3日
  • 読了時間: 2分

河内(迦那地)の12の斎石から成る斎園殿の東に、河内芳野の拝ヶ石巨石群はあります。

河内の実家の龍目は、エデンの園のアダムとイヴに落とされた、黒石とされる石を回るイスラム教(回教)と似た光の黒石ですが、同じように指して7周回を回ります。

これは、神の実在(神在日)と私の実在(在日)のアルラは、逆に指で指す事ができない示しです。

また、アダム(成す人)の名も、こちらの地名が元となっています。

これは、6000年の聖書以前、今の中国の長江の河姆渡(加茂)などで、稲作を始めた日本人(瑞穂人)が友と共に成したダムの事です。

こちらのトモがドモになり、ダム(アダム)やDOに成ったと考えています。

そのダムをトモとして、今も芳言として使っていますし、芳山周辺や長江でも地名として残っています。

芳山では、友を記した土器も発見されています。

ところで、労働は、エジプトのピラミッドの時代ぐらいまでは、喜びのために成されていました。

私たち日本人が、労働を長く休むと変調をきたしますのは、友と共にトモ(ダム)を成す喜びの、長年の歴史の背景があるからかも知れません。

ともあれ、私たちの認識が一変(角力)いたしますと、斎園殿が復活いたします。

その時、エデンの園のアダム(成す人)は、日真名(東天を拝する神子、ラマナ)の神成(ライヱデン)と呼ばれるでしょう。

いつも載せております龍目(黒石)の外に立った柱は、7回×7回を周回している、坂口自身の人柱です。



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