ツヲン(祇園)山
- yamato-567
- 2020年8月28日
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今春までは、FBの友が訪ねて来られましたら、祇園山を案内していました。
なぜかと申しますと、この山が、大海へ旅立つ船出の港、プラットホームのようであるからです。
私は、皆さんを御送りするのが勤めであると、勝手ながら思っています。
されど、今は言葉だけですみません。
ところで、京都の烏丸東入玄武町の同志社大学が、熊本の祇園(花岡)山での、短刀を突きつけた命がけの決起、熊本バンドが元である事など、あまり知られていません。
他にも京都御所警護の、三千人を束ねる総監であった宮部、西郷や乃木(娘さんの墓)など、多くの決意の山でした。
この祇園山という名は、京都に縁がある名ですが、近くの清水寺など、京都から移り住んだ方が多かった事も起因していると思われます。
先日、この地の肥後守であった、家系図も残っているという、京都の清原元輔(祇園山の北岡神社、北岡は北の亀蛇玄武の烏丸)の子孫の方が、店に来店されました。
熊本に数ある花屋の中で、ご縁があり感謝いたします。
清原元輔は、私の祖先の地で、歌詠みの修行をしていました。
そういう事で、縁は、行ったり来たりしていると感じます。
祇園山という名さえもなき遥か古の昔、チグリス・ユーフラテス川に漁村を築き、その川が、乳と蜜の流れる川といわれるようになる元となったのがウバイド人であり、大海へ旅立った日本人だと考えます。
あくまでも言霊による当て字ですが、乳母井土がしっくりきます。
ギオンという響きも、ユダヤやインドと共に、日本にもあると考えます。
祇園は、人が神の子孫である氏子である祇であり、それは、日本は、伊勢を天皇の本宮とした、神祗の国体の霊系である事と通じます。
また、斎王の斎園殿(エデン)であるのが祇園だと考えます。
写真は、祇園山の湧水(井土)である乳水です。
メソポタミア、ウバイド(乳母井土)の像は、宇宙人などではなく、超古代の日本人が、当時は非常に危険な、川海に潜って魚を捕っていたため、鰐(和仁)→龍蛇と同じであった事と、乳母の教えが合わさったものだと考えています。
祇園のこの地が故郷で、世界へ旅立たれた、尾田栄一郎さんの作品のワンピースは、まさに私たち日本人の祖先の、偉業に被さります。

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