カタカムナカミとイデラァ
- yamato-567
- 2020年7月14日
- 読了時間: 2分
兵庫の金鳥山で、平十字と名乗る男から伝授されたのが、カタカムナ文字だそうですが、たぶん、言葉が通じず、カタカムナカミの始であり葉締めである留那点にある平十字を、人名と誤解されたのかも知れません。
ところで、鳥人族の金芳山の縄文海進の時代の、古代の船着き場の地名は平です。
さらに近古代には、海水が干いたため、今の近津の漁港(古代の宇土の宮津)となりました。
平の上が岩戸山で、古今の秘密が歌に詠み込まれた所ですが、古今の歌からヒントを得て、創作された歌が、皆さんもご存じの、高砂や、この浦船に帆を上げての歌です。
これは、熊本から兵庫への船旅の歌なのですが、なぜに、めでたい歌なのかは、天皇への祝歌という事もありますが、それでは、なぜに、天皇への祝歌なのでしょう。
兵庫県では、古代に熊本の火の君が、人を生き返えらせています。
その地名が継でありましたのは、命を継ぐ(継体)であったからです。
祖母の継乙女が、術式を使ってはいなかったと思いますが、夫(祖父)は、戸籍上、葬儀上は、二度生き返っています。
また、隣の岡山の、日本三大古墳である千足古墳は肥後型で、宇土の馬門石が使われています。
元々、カタカムナは、宇宙開闢の道筋に習い、人が蘇る術式だったのです。
それで、蘇ってはならない封印の術式もありました。
誤用されては困るので秘伝だったわけです。
ところで、縦横の十字の力がはたらく時、螺旋回転は起こります。(坂口のプロフィール写真の飛沫)
そこで、仮にですが、実験的に、その螺旋回転を自らの手でつくり、回してみてください。
回転は、自らの視点の高さから、突然に逆方向となります。
本来のすぅずぅうの、うず目の形は、右に螺旋して舞い昇ると伝えられ、ずう目は、左に螺旋して舞い降りると伝えられ、神社の本坪の鈴ひももその示しではありますが、あくまでも、人の視点によりけりですので、オウムの麻原も回していましたが、正しい手の回し方と申しますより、あなたが、宇宙天地開闢のウ声(日本語の動詞はすべてウで占られます)の力の中心だという事です。
空ァ山ァと軽くなり、海ィ大地ィと沈まる天地の、そのアイの錬磨に神は、かァみィとして共にあるという事は、抱き占められているという事でもあります。
カタカムナカミ、火の君も統治した、熊本市民の水の憩いの場でもある、嘉島のイデラ古墳の写真は、お借りしています。

Comentários