オトド(岩殿)→天の岩戸
- yamato-567
- 2020年9月2日
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紀元前473年、菊池の神来(おとど)に、渡来人が来たという説があります。
後世に貴船神社が建立されています。
日田の来来里(くくり)では、神来を、かみく、と読みますのに、なぜ菊池では、おとど、と読むのか不思議です。
あくまでも、勝手な解釈ですが、神が降り来る所は、斎園殿です。
エデンでもありますが、殿は、トノです。
それで、おトノが、おトドに訛ったのではないかと考えられます。
また、古今の歌の修行がなされ、宮本武蔵が五輪書を記した岩戸山も、正式には岩殿山と書きます。
天草の姫戸の失岳巨石群、阿蘇の小国の押戸石も、オトドだったのかも知れません。
愛加那こと戸間金の名も、神来(オトド)の祭祀者(トヨ)の名ですね。
岩戸山の阿曇の石は、神の字の申し示すが暗示します、一般的な神来の縄文螺旋回転ではなく、神の申す(日)と私の申し示すの干満の息△▽イクムスビ(月)が合わさった、○△▽(日月)の、申し申し亀ヨの石(タカアマハラのラ声の縄文螺旋回転の雲)だと考えています。
近くには、現在よりも十メートル以上も海水面が高かった、6000年前の、縄文海進の時代の船着き場があります。

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