top of page

イスラエルとイランの憎しみを終わらすスサノ王の歴史

  • yamato-567
  • 2020年9月22日
  • 読了時間: 2分

FBの友には、イスラム教の方もユダヤ教の方もおられます。

世界が、その動向に注目する二つの国でもあります、イランの方も、イスラエルの方も、お読みいただき、ご意見もいただいております。

本日は、なぜ、神道という世界的にみますればローカルな宗教と、東海の端の端の、小さな島国の日本人が、重要であるかという話です。

ところで、バビロンの捕囚にあったユダヤ人を助け、エルサレムの神殿の再建命令を出したのは、キュロス(クロス)大王です。 小さな地域であったスサ(須佐)から立ち上がって、アケメネス朝ペルシアの初代王(火の国王)となった方です。 イランの建国者とされながら、ユダヤ人にとりましては、メシアとも尊称されています。 大王の墓は、なぜかソロモンの母の墓と呼ばれています。 ソロモンの母ですと、ウリア(ヒッタイト)人のバト・シェバで、何の脈絡もないかにみえます。 ところが、古代イランの地に、突如、文明をもたらした葦原の民といわれる、スメル(シュメール)人と関わりがあるのなら、謎も繋がります。 この話は、今年一年、場面場面に区切って、続けて参ります。 写真は、葦原の民が建立した豊葦原神社と、ヒッタイトのハットゥシャと同じ、火の国の火の君(常陸の中臣は子孫)の坂口の実家の横を流れます、ウガヤの双獅子のたたら水と、旭志のソロモンの峰の巨石群と、イランの古代の墓と似ています、人吉球磨の大村横穴墓です。 いつも載せています拝ヶ石巨石群の民は、坂口の前本籍地でもありました、芳野須原(葦原スメルの暗示)でもあり、もしかしましたら、正月には、アケメネスおめでとう(笑)と申していたのかも知れません。 拝ヶ石を拝された景行天皇(ユダヤ教、イスラム教、キリスト教、仏教とも繋がる景教の暗示)を祀る、石工の庭(石庭)のような山鹿の大宮神社の祀りは、まるで、イスラム教のメッカの祭りのようです。 坂口の膠着な文章の繋ぎは、今のイランの方、イスラエルの方には、翻訳されましても読み辛いと思いますが、シュメール人、日本人の特有の文章形態ですので、お許しください。 肥後バッテンクロスの、キュロス大王などの写真は、お借りしています。 追伸  残念ながら、ユニコーンなどが刻まれた太刀も出土しています、国宝の江田船山古墳は、先日の玉名和水の地震で損傷を受けたとの事。 ぎりぎりまで持ちこたえてきた祖先の叫びに、今度は私たちが、答える時ではないでしょうか。






 
 
 

Comentários


記事: Blog2_Post

Subscribe Form

Thanks for submitting!

©2020 by 日本(大和)。Wix.com で作成されました。

bottom of page